『悲恋(永劫回帰)』の映画化が決まるまで
<4月4日のエントリーから続く>さて、ロケでイタリアに行ったジャン・マレーはヴィスコンティに会っている。ちょうどヴィスコンティも処女映画の準備中で、犬連れでホテル滞在が快適でないと訴えるマレーのために、ローマの彼の友人のアパートを紹介している。その友人はヴィスコンティの映画ロケに付き合ってアパートを空けることになっていたので、ちょうどいいというわけだ(ホント、マレーにはとことん親切なヴィスコンティ)。マレーは撮影の合間に、映画化を望んでいる『悲恋(永劫回帰)』を読んだり、次回舞台にのせたいと思っている『アンドロマック』(ラシーヌ作)の衣装と装置のアイデアを練ろうと美術館に通ったりしていた。コクトーは『悲恋(永劫回帰)』の映画化を進めていた。話はなかなか進まない。占領下のフランスは電力不足が深刻で、映画はあまり撮られなくなっていたのだ。コクトーはいざとなったら自分で監督をしようと心に決めていた。マレーがローマに発ったのが1942年5月28日。最初のころコクトーは日記に、「6月2日 ジャノがローマで仕事と未知のさまざまなチャンスと出会っているかと思えば、いくらか気持ちが軽くなる」などと冷静ぶって書いているのだが、すぐに寂しさがつのり、10日後にはもう、「6月12日 やっと(やっと?)ローマから便りが来た。かわいそうにジャノは見かけはとても自然に明るく自由に振る舞っていることだろう」と心配しはじめ、さらに2週間後には、「6月25日 悲しいことに(ジャノから)手紙が一通も来ない。僕の手紙はどこに行っているのだろう」と文句を言っている。最初の手紙を受け取ってから2週間じゃ、そんなに何通も来ないと思うが…… コクトーは1ヶ月あまりの間に、一体何通書いたんだろう? マレーにあてて生涯に650通以上(!)手紙を書いたコクトーだから、すでに5通ぐらいは書いているのかも。『カルメン』の撮影は非常に進行が遅く、3ヶ月の予定が結局9ヶ月もの長丁場になった。フランスから来た人気のイケメン俳優に対するイタリアの関心は高く、ひんぱんに映画の出演依頼を受けるマレー。コクトーからは『悲恋(永劫回帰)』があるから契約はしないように手紙で釘をさされていたのだが、『カルメン』のプロデューサーだったバラットーロ(バルトロ)から同じ制作会社の次作にも是非と執拗に頼まれ、かつ『悲恋(永劫回帰)』の映画化に時間がかかりそうだと言われたことで、つい次作『西から来た娘』の契約にサインしてしまった。ところが、その直後コクトーからジャン・ドラノワ監督、マドレーヌ・ソローニュ共演で映画化が決まったと連絡が来た。しかも『悲恋(永劫回帰)』のプロデューサーがバラットーロに、「マレーを返さないと、映画産業組織委員会に提訴する」などと喧嘩腰の連絡を入れたことでバラットーロが怒り、話がこじれかける。また違約金? あわててバラットーロのところへ駆けつけるマレー。「お願いします。僕は『悲恋(永劫回帰)』に是非出たいんです。もしフランスに帰してくれるなら、撮影が終わったらこちらの映画には無料で出演しますから」必死で訴えるマレーをじっと見つめるバラットーロ。「そんなにまで、その映画のことを信じているの?」「『悲恋(永劫回帰)』こそが僕の映画での仕事の本当の始まりになると思っています(オイオイ、カルメンのプロデューサーだよ、マレー君)。成功間違いなしだと確信してます!」「あの脚本は僕も読んだけどね。君の熱狂ぶりがまったく理解できないね」「バラットーロは、こんな馬鹿げた契約のため大きな契約を反故にしたがる俳優に呆れつつジャノを僕らにゆずってくれた」「ジャノが持ち前の優しさで彼をなだめ、おかげで自由を手にしたのだ」(ジャン・コクトー『占領下日記』)こうしてマレーはようやく帰国した。「モンパンシエ通りの小さな楽園に戻り、ジャン(コクトー)がいると醸成される自由な雰囲気にひたれる、そう思うと私は幸福だった」(マレー自伝より)「1943年2月12日 どうかジャノがすでに旅立っていますように! 明日にでもぼくらのところに来てくれるように!」(コクトー『占領下日記』より)『カルメン』はマレーの帰国と前後して封切られ、予想を上回るヒットとなった。封切期間は延長され、逆に次作を慌てて撮る必要がなくなった。それを逆手にとったマレーとマネージャーは、違約金なしで『西から来た娘』出演をキャンセルすることに成功する。バラットーロとしては、違約金を取ってマレーとの関係を悪化させるより、どうせ当たりっこないワケわからんゲージュツ作品『悲恋(永劫回帰)』が終わったらまた、何かでマレーを起用しやすくしておいたほうが得策だと考えたのだろう。だが、正しかったのはマレーだった。『悲恋(永劫回帰)』は『カルメン』をはるかにしのぐ超大ヒット作品となり、フランスの美男俳優ジャン・マレーの名前をヨーロッパ中に轟かせることになる。『カルメン』は今はもう見ることはできないが、『悲恋(永劫回帰)』は現在の日本でもDVDが売られている。こちらはネットで見つけた『カルメン』のポスター。ううむ、時代感がよく出ている…… カルメンの向かって左(の下)にいるのがマレーかな? あまり似てない気もするケド(苦笑)。<4月9日へ続く>