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カテゴリ:美術鑑賞
天保山まで
マリーローランサン展を観に行く 海遊館へ行く親子連れは多いが 平日にここらあたりまで出向く人は少なく、 ガラ空きという贅沢な空間での鑑賞となった 1つ1つ、プレートを読みながら 丁寧に見ていく (これも混雑した会場では中々叶わない事だ マリーの大規模な展覧会は 私が大学生だった時に大丸梅田店で1度あって、 そのときに受けた 「マリー」と言うキャラクターに 強烈な印象を受けたので 今回の展示もとても楽しみだった だけど、 若い日の鮮烈な印象は薄れ、 今回は「アポリネールが彼女の作品の女性性を見出した」という ことを知れた収穫と、 「牡鹿」と言う舞台のことくらいだった マリーはお針子の私生児として生まれ、 しかしながらその母の夢想家としての 優美な夢にインスピレーションを受け、 後に豊かな叙情性を築き上げていく パステルカラーと言うには少し躊躇われる 美しい憂愁の色に豊かに縁取られた女性像たちは 彼女の「贅沢(洗練)が好き」と言う言葉を表すように 上流社会への交友をマリーに開いていく バレエの舞台装置への進出。 気鋭の作家達との交流。 しかしながら彼女自身は だんだんと、 養女にした家政婦との交流に閉じこもっていくようになる 私の、19の時に見たマリーは 貴族に憧れる、上昇志向の強い女性だった 若き日には神経質な刺々しい女性像を描くも、 アポリネールとの恋で 豊かな女性としての感性を花開かせていく そうして、自らの死に際して その、別れた恋人の詩集を自身の棺おけにいれることを望んだと言う 永遠の恋に憧れる1人の女性だった 私が、小学生の時に始めて手にした日記帳にたまたま マリーの詩「鎮静剤」が載せられてあった 最後の行「一番哀しいのは忘れられた女です」が 幼心にも強烈に心に残っていきました 鎮 静 剤 マリー・ローランサン 堀口大學 訳 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。 よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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