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カテゴリ:世間話
こんばんは。
台風が心配ですが、東京は明け方にクレイジーな雨の後、晴れております。 本当に、台風が来るのでしょうか? ただ、区内に、防災課から最大限の注意をするようにとの放送がありましたので、予断は許さないようです。 さて、昨日の続き。 仕事を依頼して数日後。 出来上がりの確認をして、品物を取りに行ったんです。 (納期を信じて、いきなり取りに行かないのです。必ず、確認の電話をしてから、引き取りに行くのが、私の慎重な性格を表していますでしょ。) 今回は見本もあるし、仕事を依頼した職人は、私が最も信頼しているプロ中のプロ。 なんの不安もありませんでした。 さらに、そのときの私は、某大学から、ナノファイバー製造装置の改良依頼。 つくばの産業総合研究所からは、静電気感度試験装置のメンテナンスと、プログラムの組み替え。 他、光ファイバーの接続装置の改良など、面倒くさいというか、頭を使う仕事ばかり。 右から左への注文と違いますので、じっくり構えなくては物事が進みません。 どれも、ジャンルが違いますので、頭の切り替えが大事になるんです。 さらに、ブログにも書きましたが、洗濯機の修理やら、パソコンの入れ替えやら、フル回転です。 そして運命の時、メーカーに到着しました。 「こんにちは、OOですけど、品物を取りに来ました。」 「ご苦労さん、そこに出来ていますよ。」 「?????」 「これですか?」 「そうだよ。」 「どうも、正三角形に見えるんですけど・・」 「正三角形だよ。」 「×××××」 「いや、説明したと思うのですが、正三角形じゃだめじゃないですか。」 「そうだったけ?」 「数年前、それで失敗しましたよね。」 「・・・・・」 「だから、説明したし、今回は見本がありましたでしょ?」 「・・・・・」 「見本は?」 「・・・・」 「見本を返して下さい。」 「つぶしちゃった。(見本も正三角形にしちゃった)」 「マジですか?」 「すみません。」 ここで、真っ暗になっちゃったんです。 間違いは誰にでもあるし、やり直しはききます。 依頼した品物の失敗は、私が損をすれば、作り直しが出来ます。 私が我慢すれば、すむことです。 けど、お客様が作った見本。 これは、お客様以外、誰にも作れません。 見本が無くなってしまったら、この仕事は、どうにもならないのです。 もう、二度と見本通りのものは作れません。 「品物を間違えて作ったことは、お金で解決がつきます。けど、お客様の見本をつぶしちゃったことは、お金では償えませんよ。どう責任をとるのですか?」 「すみません、うかつでした。」 「うかつとか、そういう問題じゃないでしょう・・」 そう言いながらも、私は暴れたり怒鳴ったりするタイプじゃないのです。 メーカーを信用して、そのまま見本を置いてきてしまった自分を責めていました。 メーカーの職人さんを信用せず、その見本を解析して、図面を作成し、 見本は、責任を持って自分が保管しておくべきだった。 そう思ったのです。 失敗しても、見本さえあれば・・・ ただ、見本と同じものを作って欲しいというオーダーです。 基本的には、見本もメーカーに預けるのが当然。 さすがの私も混乱し、答えも出せず、どうして良いのかわからない状況になってしまいました。 数年前は、「出来ません」 それで済みました。 しかし今回は、世界に一つしかない、お客様が作った見本も壊してしまったのです。 もう、何をどうして良いやら???? ショックで、半分記憶がないまま、気がついたら公園にいました。 全身が震えていました。 仕事はやり直しがきくけど、見本がなくてはできないし、 見本がないので、この仕事は出来ないし、 見本のデータを取っておかなかったから、見本の再現は出来ないし、 見本が再現できなくては、やはりこの仕事は出来ないし・・・ 考えても考えても答えが出なくて、 大きく手が震えるばかり。 生まれて初めての経験でした。 自分は、仕事を仲介しているだけなんだ。 悪いのはメーカーだ、自分に責任はない・・ いや、仕事を受けたのは自分だし、やはりすべての責任は自分にある。 いやいや・・・ とにかく、この手の震えを止めなくちゃ・・・ 見上げれば、たばこの販売機。 財布から小銭を出そうとするのですが、手が震えていて、うまく出せません。 見本を壊してしまった・・見本、なんとかしなくちゃ・・ そこら中に小銭をこぼしながら、なんとかたばこを買いました。 およそ、1年ぶりのたばこ。 すった瞬間、目の前が真っ暗に・・・ ひっくり返ってしまいました。 脳溢血? くも膜下出血? 久しぶりのたばこに、血管が収縮しただけのようです。 (私は、ドライバセット、スパナ、裁縫道具、ライターなどサバイバル用品は、常にバイクに装備してあるんです) 2本目、少し落ち着いてきました。 3本目、起きあがれるように・・・ 4本目、冷静になってきました。 時間は戻せないし、起きてしまったことは、取り返せない。 とにかく、クライアントに正直に謝って、あとは根性で、この仕事が成功するまで、無償で何日かかっても、完遂させる誠意を見せよう。 再びメーカーに戻り、私の決意を伝え、メーカーも、この件に関しては、とことん、無償でやり抜くことを約束させました。 クライアントには、さんざん怒られました。 連日謝り、連日怒られたあと、 「やはり、信用できるのはOOさんしかいないし、もう一度見本を作るから、今度こそよろしく。」 そう言われ、 「成功するまで、何度でもやらせて下さい。」 ひたすら、平身低頭しました。 メーカーとも、連日往復し、結果としては、うまくいったのです。 「さすがOOちゃん、あの仕事、OOちゃんが作ってくれた道具でうまく行ったよ。」 クライアントには、誠意が通じました。 メーカーに行っても、「とんでもないピンチを救って頂き、本当に助かりました。」と、総出で出迎えてくれます。 けど、自分の甘さというか、人を信じてしまったばかりに引き起こしてしまった今回の件。 どこまで人を信じていいのか? すべてを疑ってかからなくてはいけないのか? 自分の中では、気持ち悪い部分が残ってしまい、今でも、胃が痛いのです。 一つの結論ですが、人を信じると言うことは、 その人の責任や人生まで背負うことが出来なくては、うかつに信じては行けない。 そのくらい厳しく、自らを律することが出来なくては、自分自身がもたないということが再認識させられました。 「お願いします。」 「あいよー。」 単純なやりとりですが、このやりとりには、 クライアントの会社の命運、クライアントと家族などの運命、 仲介する私や家族の運命、 メーカーの会社の命運や職人さん、その家族の運命が絡まっているのです。 たった一つの仕事ですが、考えようによっては、多くの人間の人生が左右されてしまうのです。 そんな複雑なことを考えてしまうと、恐ろしくて恐ろしくて、極端ですが、まともに人と口が利けなくなってしまいました。 人のやることに「完璧」はありません。 言ったつもり、言われたつもり、 打ち合わせをし、メモを残し、注文書を書き、電話までかけて確認しても、人がやること。 魔が刺すことがあるのです。 人間に「絶対」は無い。 そのことが、悲しく、苦しく、悩ましく、 しばらくは、冷たい人間になってしまいそうな自分が嫌なんです。 用心に用心を重ね、同じ失敗を二度起こさないよう、最新の注意を払って生きています。 某大学にも、納品を終え、先日、産業総合研究所にも納品を終えることが出来ました。 粛々と、黙々と、冷徹に仕事はこなしております。 だいぶ肩の荷が下りてきました。 と言うことで、 ぼちぼちと行こうかな・・・ 少し、心の余裕が出てきました。 そんなこんなの、数週間だったのです。 ハァーーー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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