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カテゴリ:旅行
今朝の起床は6時11分。昨夜はぐっすり眠れたようである。心身とも心地好い疲れを纏って眠ったようだ。晩酌は焼酎とお土産で買った「三戸どんべり」、白ワインで。 さてとリードはその辺にしといて。昨日は青春キップの最終締め切り日。何がなんでも使い切りたかったので強行して八戸に向かったのである。空白さんからは「久慈まで行けるんだよ?どして行かないの~」とお叱りを受けたが、数日前偶然だけど一昨日、書いたが八戸のKさんから頂いたメルが発端である。「おしっ八戸サ行くべ」脳幹を揺すった。 「来るんだったら、到着時間と場所教えてよ。迎えに行くから」「縄文が好きだったよね。是川遺跡は行った?蕪島わ?マリエントわ?根城わ?」やる気マンマンのメルだった。私「是川は三度行った。蕪島は四度行った。種差海岸は五度行った。八食は行くたびに寄るから分からない」彼はがっかりしたようだった。今回は街中歩きをしたかった旨伝えると歩くのが苦手な彼は、車じゃないの? 歩いて正解。川端康成さんの奥様の生家跡を見つけた。歩かねば分からない情報なのである。で、表題に繋がった訳である。実際、弘前も青森も、野辺地(のへじ)までは何もなかった雪が旧東北町に入ると線路脇が一面真っ白な残雪でびっくりしてしまった。そっかぁ~この辺は太平洋気候が伴わない地域なのだな~と。生まれて初めての三セク「青い森鉄道」での輪行だったのだから見る物全てが新鮮な気持ちだった。昔の東北本線には数え切れないほど乗ってるので同じなんだけどね。 野辺地の人間にはいくら声を掛けても、no返事。 トンネルを抜けなくても、そこは雪国だった。 乙供(おっとも)集落の妻達は常に主導権を握っているのだ、いつもついでに言われる「夫も」。 などと電車の中で思い着いては手帳に書き留めていた。 本当なら今日からの福島花見山ウオークに参加したかったのだが、13日の日曜に上娘の嫁ぎ先で「田植え」があるらしく、助っ人が足りないので手伝って欲しい~旨の要請があったのだ。それで断念。しかも、14日には「弘前ペタンク協会」の役員会もあるし、福島にはちょっと無理がかかっていたのだ。 それに弘前市長選の投票日だったので、若干の躊躇はあった。しかし、唯一の市民の権利を放棄する訳には行かない。不在者投票を行って来た。 話がまた反れている。本八戸駅から張り切って歩き出すと小雨がパラパラ。「あれま、晴れ男に似つかない天気になった」と思ったがすぐにも天気は上がった。しかし、駅に観光案内がないのには閉口。仕方がないので「地元の観光コンベ」に出向く。ようやく観光ガイドマップをゲットし待ち歩きを開始した。 馬場町~番町~三日町~十三日町~十六日町(馬喰町)~寺横町~大工町~ヤグラ横町~みろく横丁~六日町(肴町)と見聞きしながら楽しい街歩きをした。三日町ではひなちゃんお奨めの「はっち」にも寄った。この情報館は八戸の全てを網羅している素晴らしい情報発信基地だと痛感した。弘前にも欲しい~と私が思ったほどなのである。 歩きながら川端康成の奥様生誕の地跡、片山潜の奥様たまやプリマ原信子(ハムじゃないよ・バレエのプリマドンナだよ)生誕の地跡など著名な方々の奥様達を輩出していた事に新鮮な驚きがあった。 彼と待ち合わせは六日町の「みろく横丁」開口一番「お~い宮さぁ~ん」「おっろぉ~腹の出っ張り具合は昔と変わらんなぁ~」私は彼のお腹をペシペシ。「それより、カツラ被ってるはんで判らなかったジャ~」彼は通りの向こう側で迎えたのだが、私のポニーテールに戸惑ったらしい「しっ失礼な!黒いキャップなだけじゃん」二人で大笑いした。いつもの愛用のバックパックを背負っていたし、昔の禿げ頭のおっさんがスーツにネクタイのイメージで待っていた~と話してくれた。なんせ10年振りくらいなのである。 彼は一通り歩き切った私に「どっか行きたいとこ無いの。私より八戸知って居るようだし、まづは昼飯にしようよ」「あぁ~そうだね。あんたの行き着けは無いの」「あるけどラーメン屋なんだよね」私「海産物の基地、八戸でラーメンを喰うとは考えなかったなぁ~みろく横丁で昔、八戸ラーメン何度か食べたなぁ~何処でもいいよ」「じゃ八食に行きましょう」私「おっ七輪村かぁ~それも良いね」 今日は長くなってしまったようである。明日にも分割しましょう。とっつばれ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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