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カテゴリ:駅ハイ
今朝の起床は5時8分でした。今朝は早朝から涼やかな風が寝室のカーテンを揺らしていた。もうすっかりお日様は昇っており、水平線から10度ほどの位置にいた。快晴である。窓から空を見上げると青空の中に雲があっけらかんと漂っていた。今日は予定が無い日。朝からどうしようか思いを巡らせていた。 天気は間違いなく良い。しかし、予報では午後ににわか雨があるかもしれない。ドライブするにもガソリンが勿体無いし、駅ハイするにも小銭しか財布に入っていない。弘前市内を歩くには暑いし、歩いた事の無い道はほとんど残っていない。手を変え品を変え歩いているつもりなのだが、如何せん自宅からの道は何度も何度も使っている。 やっぱ車で出掛けて知らない道を歩く方が楽しいかも。の結論に。カミサンを送ってから家事をして段ボールの日だったのでそれを集積場に置いてから出掛けたのである。駅からハイキングの冊子を広げたら期間設定の鰺ヶ沢があった。 待てよ、鰺ヶ沢は住んだ事はあっても街中を歩いた記憶が無い。 鰺ヶ沢町のショッピングモール的な集合体スーパー「パル」の駐車場に車を置いて、いざ出発。駅前案内所の可愛い女の子が懇切丁寧に地図を示してくれる。昔住んでましたって言うに言えないまま聞いていた。 缶バッチも三種類から選んでくれた。これが無いんじゃない?私のバックパックに付いている缶バッチを見ながらチョイスしてくれた。なんとまぁ~優しい事。機嫌を良くしていざ。暑い。海岸の太陽は内陸部に比べて、特別暑く感じるのは私だけではあるまい。 しかし、山登り用の日除け付きのモンベルキャップは襟元を隠して、風を呼び込んでくれる。結構、気に入っている。歩く時は必携なのだ。移動距離(電車など)が多い場合は別のキャップを被って、歩く時だけこのモンベルにしているのだ。 今日は黒の半袖Tシャツに黒のカラージーンズ、黒のナイキスニーカーにした。黒尽くめであるがキャップだけは淡いベージュ。私は必ず色を統一しても一か所だけは色を違えるようにしている。それがオシャレだと思い込んでいるのだ。 駅からのメインストリートに架かる橋は未だに完成していない。迂回しながら中村川を渡る。ふむふむ、ここでハゼを釣って四馬鹿でキャンプしたっけなぁ~キャンプしちゃいけないとこで・・・!等々思い出が甦る。 鰺ヶ沢は、弘前藩御用港として江戸時代から栄えていた。勿論、西の入り口は鰺ヶ沢で東の入り口は今の青森である。江戸時代は善知鳥(うとう)村だったのかな?北前船が寄港し、廻船問屋が立ち並び、遊郭などもあり賑わっていた町なのだ。 しかし、歩いていてもすれ違う人もいない。否、人が歩いていない。駅前にはタクシーは止まっているものの、パルに納入業者らしき軽トラックは行き来していたけどね。正八幡宮が第一関門。 第二が中央公民館内の街中ギャラリー。そうそう、ここを出た私は役場前を歩いていたら、役場職員が玄関脇でざわついていた。覗き込むとハクビシンが捕獲されていた。駅ハイはこういったハプニングを見学できるのが嬉しいのである。車では味わえない。 町奉行所跡地を巡って銘菓の山ざき。「じんく餅」で一世を風靡した。鰺ヶ沢甚句のソノシートが当時は入っていた。が、今はあるのかしら?などと思いながら歩く。 白八幡宮の鳥居を見ながら思い出した。日本海中部沖地震の際、津波が来る!と思い家族全員をこの八幡宮の高台に避難させ、私は車を駆って深浦に向かった事などを思い出していた。ここの例大祭は四年に一度行われる。 折り返しは丸重組。ここの社長は県議会議長を務めたりしてた。本社に戻る際、選別を貰った事などが脳裏に浮かんだ。折り返すと後はチェックポイントを目指すだけ。途中、鰺ヶ沢漁協や鰺ヶ沢で唯一の割烹「水天閣」を撮影した。 この割烹では鰺ヶ沢町長、深浦町長、岩崎村長らを一堂に招待して、西海岸の将来について語って貰った事などを思い出した。何もかもが懐かしい。しかし、陸奥新報社鰺ヶ沢支局の看板が撤去されていた。あら?無くなったのかしら? 毎日のように通った鰺ヶ沢警察署の裏を通って、ようやく海の駅「わんど」に着く。一通り目を通して買いたい物がないか探したが、今の旬であるスイカが多い。まさか駅ハイで持参できる代物ではない。しかし安い。弘前の半値である。 躊躇したが先日来、カミサンが食べたそうにしていたのを思い出し買ってしまった。後は野となれ山となれ~である。駅までは残り20分ほど歩かねばならない。ゴールした私は可愛い女の子を口説き、写真を撮らせてくれ~と懇願したものの、却下されたのである。とっつばれ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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