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カテゴリ:狭範囲情報
今朝の起床は4時39分でした。皆様お久し振りでございます。パソコンに触っていない~から5日間が過ぎてしまいました。掛かり付けの医院で降圧剤を変えて、二日間飲んだ所、吐き気と嘔吐を繰り返し三日目には中止。食欲は減退し何も食べる気が起らない。こりゃまいった!ってんですぐさま病院に出向いてその旨を伝えた。 この夏バテなるものを知らなかった私が食欲がない~?まさか!ってな思いですから、やはり薬害の他には思い当たらない。それが20日でしたよ。明日は医院に行こう~と思ったら、21日深夜、午前1時16分。唯一残っていた親父の兄弟の叔父貴が他界した。 私の兄弟みながお世話になった叔父貴である。元専売公社で89年間タバコを吸い続けた公社愛に溢れた人であった?深夜に病院に駆けつけてからと言うもの、その叔父貴の家で葬儀委員長ではないが、葬儀一切を取り仕切る差配に明け暮れていた。 そして昨日、ご香典の集約(喪主と一緒に)、お返しの印刷物の手配で一応の終結を見た。初仏のお宅である。仏具は一切ない。供物を誰にお願いするかから始まり、名簿づくりから何から何まで差配した。 それと言うのも、年齢こそ50歳を超えているが喪主は、独身(バツイチ)、弘前には知人も少なく親戚関係もほとんど分からない。それもそのはずである。叔父貴が東北管内転勤族であったため、弘前に住んだ事がなかった喪主なのである。 そこで私とは年齢も近く、何かと以前から頼りにされていた。東京暮らしの彼に叔父叔母の面倒をどうするのか~から助言を与え、弘前に呼び寄せた~と言って過言ではない。こちらでは生活できない、就職場所もないという過酷な状況が彼の行動を制限させていた。 それでもこちらで何とか就職口を確保し、生活し始めた所だったのである。戻ってからまだ二年ほどだったのである。 昨日は滋賀県から訪れていた私の兄を空港に送って行った。車椅子生活を余儀なくされている次兄である。我が家に二泊したが、車椅子生活と言うものの大変さを如実に感じ取った。こりゃ義姉は日常が連綿と積み重ねている苦痛は大変なものがあろうと思ったのである。それが何とか戻った。 飛行機では2時間ほどであろうが、それに乗るまでが大変なのである。こちらに帰郷する際、飛行機を30分遅らせてしまった。JALにご迷惑をおかけしてしまったと悔いていた。昨日はチェックインの二時間前、搭乗の三時間前から空港にいたのである。 すぐさま、戻って今度は新幹線乗車の東京組の送り運転手~合間を縫ってご香典と芳名帳と照らし合わせなどに明け暮れていたのだ。今日からようやく、平常の生活に戻る~と思っている。勿論、掃除洗濯などできようはずもない。溜まっている。カミサンも一人暮らしの喪主の家の掃除やらなんやらに明け暮れていたのである。 夫婦共々、疲れ果てていた。そんな中滋賀県の義姉が「あら、虫の音~こっちはもう秋の風情があるのね」そんな言葉で我に返った。そっかぁ~秋の風情が始まる季節になったんだぁ~!とっつばれ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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