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京都観光をご案内して学んだ事

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尾崎聡 倉敷市文化財保護審@ Re:醍醐三宝院 藤戸石を追っかけて 漸く撮影可でした(05/10) 貴重なお写真拝見しました!藤戸石、遠く…
王島将春@ Re:【栂ノ尾高山寺】世界文化遺産 女がひとり(03/31) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
悠々愛々@ Re:【栂ノ尾高山寺】世界文化遺産 女がひとり(03/31) こんにちわ。 いつも応援ありがとなし。 …
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2018.05.10
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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5月6日息子の付き添いで地元世界文化遺産醍醐三宝院の
庭園の写真撮りに行ってきました
過去禁止が問い合わせで2年前から開放されて居ました



醍醐寺正門
彼方に見える山が、「上醍醐」です。山道3キロ、
西国観音霊場の最難コースとされていました。
本堂は火災で焼失し現在は下醍醐でお参りできます

 

 

P1020698.jpg

国宝【唐門】勅使門

真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐

勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え

帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう?

P1030846.jpg

太閤秀吉が醍醐の花見行列をした場所

この年の夏に伏見城で逝去します
行列は勅使門から出発五重の塔まで進みます

 

【醍醐三宝院】

勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、

菊・桐・桐・菊の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」

で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問する

ときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、

桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。

 

 
玄関前の松の樹が7本


松の樹が3本に重なり
7・5・3の松の木と成る目出度し



玄関


勅使門の内側


勅使門の内側 左が庭園



「特別史跡」「特別名勝」(国宝)
初めて庭園撮影可 勅使門が見えます



亀島・鶴島 木の橋 鶴の首


左・亀島中央石の橋


中央・藤戸石と土の橋

中央・藤戸石と土の橋

奥に三段の瀧


土の橋


京都で此処の庭園だけ、写真禁止で、見張り役を置く
ぐらいで過去は
とても残念でした

 

表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると
「能舞台」
になります。

中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、

各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。



加茂の三石。手摺りに沿って
川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。

激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。


藤戸石 名石 天下人石


藤戸石】(ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも

「真正面」に観られます。

「阿弥陀如来三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・

豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。
ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。



庭園に「橋」が三種類あります。
「石橋」「木橋」「土橋」と変化を

表現しています。



庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな

雰囲気の音も聞えます。



そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。




護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が
祀られて居ます。



前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。
藤吉郎時代

、ねねの進言で「功績」を成す毎に「千成瓢箪」

喜んでくれずだだをこねる

主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか 

 

【奥宸殿・玉座】左正面に「藤戸石」が眺められます。




奧宸殿
【日本三棚】 「醍醐棚」
「修学院離宮棚」「桂離宮棚」

​​​​​​​​ 
花見行列の道 人っ子一人おられませんでした



観光バスのガイドさんとお客さん10名訪問閑散でした



勅使門



参道を和尚さんひとりの後ろ姿
背景の山は上醍醐山

​​




名石【藤戸石】を追うて
三宝院の庭園は豊臣秀吉が慶長3年(1598)「醍醐花見」
のため基本設計した庭ですが完成を見ずして他界しました
名石刈りで有名で庭園の中央に天下人石と言われた
名石【藤戸石】を関白公邸「聚楽第」から据え付けました


そもそも「藤戸」の名は平家物語巻十「源平の陣の間」
そして謡曲「藤戸」でも扱われ
岡山県倉敷市藤戸の浜(児島半島)で源平合戦での漁夫の悲劇

源氏の御家人の一人佐々木盛綱が馬に乗ったまま浅瀬の場所を
地元の漁夫から聞き出し情報の漏れるのを恐れ其の場で無謀にも切り殺しましたその痛ましい現場に浅瀬の印として浮州岩を
運んだのが名石藤戸石でした
勝利に導いた象徴として武家社会では「天下の名石」として
語り継がれても 遺された母親は非道を訴え
盛綱は非を悟り 漁夫の魂を弔って成仏させたとのこと
現在も阿弥陀如来三尊石として霊を慰めているようです

室町後期に実権を握っていた細川管領邸にあつた藤戸石
織田信長によって奪われ 信長は15代足利義昭将軍の
二条邸に運びましたそして豊臣秀吉がその意志を聚楽第に
据えました 武家社会の天下人石の象徴のようでもあります

今回9年ぶりに写真が禁止された名石【藤戸石】名前の由来も
判らずどうして藤戸と名付けられたの?と聞かれてから検索して
源平合戦岡山・四国に関係することか判り
更に藤戸石を追うて見たくなりました
平家物語 醍醐でも関係していたのですね




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Last updated  2018.05.10 05:00:06
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