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なんだか賞をとったこの小説。
今年の冬に従姉のブログで紹介してて、読んでみたいなと思っていた。 その後、作者の角田光代がテレビに出ていたりしてて、ますます読んでみたかった。 図書館とはすごいところで、話題の図書はかならずおいてますね。 でも貸し出し中で、予約をして、やっと読めました。 作者の角田光代は私より2つ年上で、同じ世代。 小説の中の主人公たちには共感することが多かった。 まずグループ化しないと不安なこと。 私もそうだったような気がする。 小学校中学校と、クラスのメンバーは誰一人変わらないような小さな学校だったために、はじめてそういう経験をしたのは高校のときだったろう。 右を見ても左を見ても知らない顔ばかり。 クラスに1人だけ、同じ中学出身の子がいたけど、それほど仲がよかったわけではなく、とりあえず、席が近かった人とつるんでいたりしてた。 そのうちの一人とは同じ部活だったために、卒業するまで仲は良かったけど、親友というわけでもなく、今でも年賀状だけはやりとりがあるけれど、他に連絡することはなくなった。 そんなものなんだろうな・・・ グループに属することは、今となってはそれほど大きな意味はなかったとわかる。 けれど、いざ自分の子供にそういうグループのお友だちがいないと不安になるのが、私たち世代の親だろう・・・ 「誰とでも遊べます」と先生が言うと、私は「特定の友達ができないんだ」と思ってしまうんです。 だけど、大人になって思うのは、本当に心から必要とする友達はそうそう多くはないということ。 色んな経験を積んでいって、多くの人と触れ合って、そういうことのほうが大切なような気がする。 子供のときにグループでいじめをしたり、いじめられたりするのは、グループのボス的存在の人に嫌われたくなかっただけのことだったんだよね・・・ 小学生のときに、ちょっといじめられたことがあった。 仲が良かった子が、いじめられたくないという理由だけで、私から離れていった。 その子からは手紙が来て、「一緒にいると私までいじめられるから。ごめんね。だけど、みっかのことは好きだよ」みたいなことが書いてあった。 私はこの子の気持ちもわからなくはなかったけど、こういうずるい考えの子が嫌いだった。 なんて自分勝手なやつだとも思った。 こういう人間にはならないぞとも思った。 いじめがなくなって、へらへらと愛想をふってきたその子のことは、無視してた。 人間の本質なんてそうそう変わらないと思ってる。 たとえ子供だったからと言っても、本当の部分では、人間そうそう変わるものじゃないんじゃないか。。。と。 この考えが子供なのかなぁ・・・ 私は相変わらず、ずるい人間は大嫌いだし、好き嫌いも表情に出してしまう。 一度裏切られたら、もう許せないし・・・ だけど、そこが私の短所でもあることは、自分でよくわかっている。 就職して何年かたって同級生たちと会ったときに、変わっていてびっくりしたことがあった。 あんなに意地悪だったあの子が、あんなにおてんばだったあの子が、皆女らしく楚々としていて、どうしちゃったの???と思った。 時間がたって、少し昔の思い出話なんかを始めると、変わっていない部分があることにも気づく。 けれど、あの頃の影は薄くなっていて、まるで自分だけが何も変わらずに、置いてきぼりを喰った様な、気持ちになった。 私はよく、昔からの知り合いに「変わらないね」と言われる。 これがいい意味なのか、どうなのか、自分でもよくわからない。 ただ、皆は変わってる。 あきらかに大人になっていて、心が見えないように、隠しているようだなって思う。 私だって多少は、大人になってるのかもしれないけれど、きっと成長できていないんだろうな。。。 大人になっていく過程で、みんなはどんな経験をしたのだろう? どんな苦労をしたのだろう?? そもそも、大人になる意味はなんだろう・・・ 年を重ねる意味。 その先になにがあるんだろう・・・ この小説を読んで、ちょとだけわかったような気がした。 そして、今自分が、働いていたり、音楽をしていたり、そういう事が、意味を持ったものなんだって、確信ができたような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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