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カテゴリ:ピアノと私
ミクシーをちらちら見ていたら、
「演奏家になるかならないかは、自分で表現したいものがあるかないかできまる」 と五嶋節さんが言ってたという記述があった。 五嶋節さんのすざまじい教育法にはぜんぜん共感しないけど(笑)、 彼女の何かにかられるように音楽をしてきた生き様には感動する。 できれば、子供達より五嶋節さんの演奏が聴きたい。 子供に叩き込むより自分が演奏家になれば良かったんじゃないかと思う。 五嶋龍くんが大きくなってから、テレビで自分の小さい頃のスパルタレッスンシーンをみた時の顔! 本当につらそうだったし、「この頃は自分で自分の手を折ってしまおうか と思う、危険な自分がいた」と追い詰められていた心境を告白していた。 龍君が今後幸せな音楽家になれるとは ちょっと思えない とその時思った。 きっと心からバイオリンが好きなのは節さんのほうだよね。 で、 節さんの仰る、「表現したいものがあるか、ないか」だけど、 私が表現したいのは 「表現したいという思い」かな。笑。 ルービンシュタインが この映像ので 「演奏することはセックスするのと同じくらい気持ちがいい」というようなことを言ってる。笑。 快感極まりないという感覚。 それがある人にとって、練習が苦とかありえないのだろう。 まして、自分の手を折ってしまおうなんて思うわけもない。 キーシンが やっぱりこの映像の中で、 子供の頃、思い出す限り、自分は音楽のことしか考えていなかった。 そんな自分を両親はとても上手に育ててくれたというようなことを言っている。 弾きたいという希求はピアノに恋した者にしかないし、 誰かに無理に「恋しなさい」と言われて恋ができる人はいないはずだ。 でも、これからピアノを習う小さい人達にとっては、 ピアノに恋をした大人からピアノを習うことが大切だと思う。 火のついてないローソクは他のローソクに火を灯すことはできない。 ピアノに激しく恋してない人から恋のレッスンは受けることができないんだよ。 何かもうできあがちゃって、昔恋したことはあるけれどー、、なんて腕組みしてる大人からは 何も学べないんだなぁ。。 心に火が 情熱があって 初めて他のローソクに火が灯る。 私が初めて恩師のレッスンを受けたときの感動。 それは先生自身の「表現したい」という希求が 私に伝わってきたものに 他ならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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