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カテゴリ:ピアノと私
モーツアルトってどの変までのびのび弾いて良いものだろう。
ロマン派ではない、のはわかる。 でもモーツアルトの歌劇をみてると、 ロマン派ではないが、そんな堅苦しいものでもないはずだ!と思ってしまう。 ポーランドでは夏にはモーツアルトの歌劇が全曲公演される。全曲だ。 モーツアルトが子供のときに作った、セリフのない劇(バレエダンス)に音楽つけたものとか、 もう絶対、他では見れないようなマイナーなものまで全部公演されるのだ。 ここぞとばかりにかなりの数をみた。 モーツアルトの歌は、恋やら愛やら、泣き笑いを、伸びやかに自由に表現している。 なんかこうリミッターがかかったような、どこかでセイブしなきゃいけないような、 抑圧的な部分はまるで無いと私は思う。 だましたり、だまされたり、恋の駆け引き、そりゃ、好き勝手?にやってる。 ただ、ピアノはチェンバロだったから、 そこまで伸びやかに表現することができなかっただろう、とは思う。 楽器が伸びやかさにセーブをかけてた部分はあるだろう。 でも心はのびのび歌っていたはずだ。 きらきら星を弾いてて、どこまでイっちゃっていいのか、わからなくなる。 このバリエーション、実にいろんな表情があって、弾いてて面白い。 まるで歌劇をみてるようだ。 巻き毛の人たちがいろんな劇を繰り広げているのが目に浮かぶ。 あと、古典はテンポを揺らさない、というのが基本だが、これも時々疑問に思う。 歌劇を見てると、しゃべりにチェンバロの伴奏がついてたり、 「ほにゃららーほげほげー♪」チャランチャラン♪ とかおしゃべりにチェンバロが合いの手を入れるなんてシーンは沢山ある。 それはテンポに入ってるわけじゃない。 寄席みたいに、お話に、べべんべん!と三味線がはいるのと似てる。 そんなことが音楽で可能だった時代に、テンポを揺らすという概念が無かったとは思いがたい。 もちろん変にゆれてるのは可笑しいのはわかるけど。 きらきら星をゆらして弾こうとは思わないけど。。 きらきらを弾いてると、ここは絶対こう弾きたいというのが、あって あってしょうがない。 人の演奏は聴きたくない! 人のアドバイスも欲しくない!爆 これは絶対こうなんだ、というきらきらが私にはあるんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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