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私に使命があるとしたら、
今とは違うことをしなくちゃいけない気がする。笑。 ええ、私、タブン使命からは逃れていたい。笑。 もし使命があるとしたら、たぶん、それって絶対ピアノじゃない。 音楽は自分を幸せにするためにあって、私の私のためのもの。 欲もあるし、前世からの欲とかもあるし、笑。 だから人の欲とかもよくみえちゃって嫌でもあるんですが。 ま、それは自分が持ってるものだから。 使命、、今生では絶対、果たしません。爆。 来世にご期待ください。笑。いや、来世も逃げてるかも。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 苦労の渦中にいる時には、苦労を味わうために、いろんなものは見えなくなってる。 そのほうが、味わえるし、苦労を知り尽くす。 そこから離れた時、私達はその真意を知ることが出来る。 真意の質は苦労の質と比例する。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 音楽の音楽のための音楽という人生を与えられてる人っているのだろうか。 音楽は手段なのか、目的なのか。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: よく、独りよがりの演奏、、という話を時々耳にするが、 独りよがりじゃない演奏ってありうるのか?爆。 私には、シフの演奏もアルゲリッチの演奏も内田光子の演奏も 独りよがりに聴こえるけど。 独りよがりだから、感動するんじゃないか。 独りよがりじゃなければそこに世界があるわけないじゃないか。 作曲者の意図というのだって、自分に引き寄せてこそ、その世界が世界として存在する。 独りよがりとか言ってること事体、音楽がわかってない。 ::::::::::::::::::::: その独りよがりが、誰かと共有できる、感動できる、というのは、 結果、なのだが、 その結果はその人の人間の幅なのだよ。 肩幅の小さいひとの独りよがりは、人は共感できない。 肩幅の広いひとの独りよがりは、人に共感と感動を与える。 肩幅は、その人の生きてきた人生の幅なのだ。 前世も含めた、生き様なのだよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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