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今日、3投稿目です。w
ぜひ前の2投稿もご覧ください。w >私ね、どんな映画もひとりでみたいのね。w >っていうか、ひとりでみなくてもいいような映画は >あんまり興味なくて見たくもないの。 っていうコメントを書きながら すごく実家にいた時のことを思い出した。 なんか実家にいたときって、 兄がいるときは苦しかったな~。 兄は人の部屋とかにずかずか入ってくるし、 入ってきて私の興味のないことをベラベラしゃべってるし、 人の部屋のなかをアサるし、 ノートとか手紙とか見てるみたいだったし、 私がいつも部屋に閉じこもってるのをここぞとばかりに邪魔しにきた。 私はひとりにならないとできないことが沢山あって、 ピアノの練習も部屋に閉じこもって ひたすら電子ピアノで練習でした。笑 生ピアノは昼間に1時間も触ればOKと思ってたし。笑。 ひとりにならないと弾けないことが沢山あった。 そのほか自分の考えとか思うこととか いろいろまとめるのにも、ひとりにならないとできなかった。 たぶん今よりももっとずっと自分の内的世界が広かったし、 もっと自分の世界を大切にもしていたとも思う。 兄はそんな私の内的世界の匂いにどうにも興味があるようだった。 でも絶対に兄には見せたいものではなかったし、 私は「私に関わらないでくれ」、としか思いようがなかった。 映画「ゆれる」は兄弟の話である。 私には同性の兄弟がいないので、この映画の兄弟関係は私にはわからない。 兄弟ってこんなに客観的になれるのかな。 これはたぶん兄弟じゃない。私にとっての「兄弟」ではない。 私はあるとき、兄を廃絶するために 部屋に鍵をつけた。 「私に関わらないでくれ」 兄はそんな私を許さなかった。 まるで世界観の違う人間が同じ家ですむのは実に苦しいものがあった。 思えば、実家のあの家庭で私はただ一人、 まるでタチの違う人間だったと思う。 父も母も兄も即物的な人間だった。 ブランド品が好きで、高級料理が大好きで、 世間体を守り抜く、そんな人間であった。 洋服や外見にまるで興味なく、食べ物にも興味なく、 いつも目に見えない世界に住んでる私を 兄はなんだと思っていたのかな。 ああ、あの時、私は何を夢見ていたのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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