夢から現実、未来へ
東京モーターショーの歴史の記事を紹介する。第1回の「全日本自動車ショウ」が開催された昭和29(1954)年。ほぼ半世紀前のことだ。オードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』が、この年日本で大ヒットした。彼女とグレゴリー・ペックが、オシャレで可愛いスクーター「ベスパ」に相乗りして、石畳みのスペイン広場をメチャクチャに走り回る。そのシーンは、日本中の若者の共通の憧れとなった。その人気もあって、4月20日から東京日比谷公園で開催された会場には、54万7,000人もの人が訪れた。ただし、会場に設けられた駐車場には、クルマではなく自転車がいっぱい。それが翌年の自動車ショーでは、オートバイとスクーターであふれたという。憧れが急速に実現化され始めた時代が求める形で、おそらく必然としてモーターショーは誕生したのである。オートバイやクルマは、その生産量から言っても、日本の社会、時代に合わせて歩まなければならない宿命を持っている。モーターショーはその時代や社会を、オートバイやクルマというフィルターを通してわかりやすく映し出す鏡であろう。 交通史的にそれ以後の日本社会を見れば、 昭和30年代(1955~64)は「高度経済成長と道路や交通体系の整備」 昭和40年代(1965~74)は「モータリゼーションの進展とさまざまな課題の克服」 昭和50年代(1975~84)は「省エネや省資源への対応」 昭和60年代(1985~94)は「世界が認めたハイテクと国際化」 平成以降(1995~2005)は、「環境や安全、IT革命による新たなクルマづくり」 といったところだろうか。そして、半世紀の間に今回で39回を迎える東京モーターショーは、より具体的にその時々を反映してきたと言えよう。出典・詳細:jama