カテゴリ:日常生活
男には(女性にもだけど)、人生の中で大きな三段階のステップがあると思う。第一のステップは大学卒業して就職。誰かの保護下から独立する、自分自身の責任は自分で持つことになり、さらに社会組織の一員としての責任も追うことになる。第二のステップは、結婚。今までは自分自身のみを守っていればよかったが、自分の愛する者を守るという責任を追うことになる。さらに人にもよるが、結婚前はやはりまだ両親に属しているところが多く、それが結婚することによっていよいよ自分自身の家庭を持つことになり、完全な独立をすることになる。そして第三のステップは、出産。第二ステップで結婚することによって相手の人生に対して責任を持つとはいえ、結婚相手は独立した大人な個人でもある。お互いに責任を持ちながら、持ちつ持たれつの関係であるべきだと僕は思っている。しかし産まれてくる子供は、まったく無防備である。子供に自己責任はなく、すべては親が責任を持って育て上げなければならない。これは並大抵の責任感ではない。
人は、これらのステップを経て、大人になっていくんだと思う。大人になってから準備万端になってからこのステップへ慎重に進んでいく人もいれば、ステップを踏むことが先行して、それを経て大人になっていく人もいる。落ち着いた考え方や人生観、貫禄などを持つ一方、若さを失い保守的で中年臭くなっていく。どうにかして若さを保ったまま落ち着いた思考と視野を持てないだろうか、といつも願う。若くい続けるためにも、仕事や趣味で、常にチャレンジを続けていきたいと思う。一度チャレンジできなくなったら、その次へのチャレンジはできなくなる。走り続けていなければならない。しかし走り続けることで、家庭をないがしろにしてはならない。家庭を大事にしながら、チャレンジし続ける。これらを実践している先輩達が、いかに大変なのかが少し解ってきた気がする。 精神面でも、常に若くありたいと思う。僕は全力で一途である人生というものに憧れる。今までの人生の中で全力で一途であったものは、恋と仕事とダンスだった。この気持ちを持ち続けて、全力に一途に家族を愛し、全力に一途に仕事にチャレンジし、その中でできうる限りダンスをしていこうと思う。しかしこの『全力に一途に』という考え方自体が、青い若気の至りなのか、と思うときもある。僕は、大学に入った頃からずっと『熱い男』だったと思う。昔は若かった。青かった。何にも解ってなくて、無駄に、フェイクに熱かった。今はあの頃よりは少しばかりは大人になったと思うけど、それでもまだ形を変えて『熱い心』は持ち続けていると思う。当時の僕から見たら、今の僕は『熱い』と見えるのだろうか。また、これもまた数年後には「若かった、青かった」と思うようになるのだろうか。そしてその数年後の僕は、今の僕から見て『熱い』と憧れられる存在なんだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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