カテゴリ:懐メロ再考
見つめ合うだけの暮らし 心の鼓動が
寂しさ塗りつぶし 今日を温め合うよ ふたつの心 ふたつの生き方を重ね合うから 君は時々涙を 僕はため息をこぼすけど 二人求め合い 暮らしてゆけるさ 夜明けまでずっと 抱き締め合いながら そっと扉閉じて 僕が旅に行く時 君はいつまでも 笑顔浮かべていた 夜の明かりの向こうで 君は僕の帰りを待つの 見知らぬ街の片隅で 僕は君の面影抱き締めている 離れて暮らしても 君の心が聞こえるよ 君に届くだろう 僕のこの思いが 分け合うものなど 初めからないけど 心さえあれば いつでも二人は あるがまま そっと強く 受け止め合いながら 夜明けまでずっと 抱き締め合っているよ 二人あるがまま (by 尾崎豊,1992) ******************* 何を隠そう、私、尾崎豊ファンです。尾崎が他界してからファンになったんで、ある意味エセファンなんですが、高校・大学の時、結構聞きまくってました。そしてカラオケではタブーとされる尾崎メドレー。尾崎ファンしか知らないようなアルバム曲を熱唱してしまいます。他人の迷惑は考えません。いいんです、自己満ですから。 尾崎の歌のいいところは、自分の人生のそれぞれの時期・場面において、それにふさわしい曲がある気がするんです。抑圧された高校時代だったり、恋愛に恋している若気の至りだったり、失恋の痛みだったり、挫折だったり、平凡な日常だったり、結婚だったり、父親になることだったり。その段階に自分が到達するまでは何気なく聞いていた歌が、その経験を経て聞くと、心に深く響いて来る。そんな噛みごたえのある歌が多いんですね。 日本に居たときはある程度順風満帆で特に何の苦労も風当たりも疎外感もない生活を送ってきた自分でしたが、アメリカに来てからの社会への抵抗、抑圧、疎外感などを経験してみて、最近改めて尾崎を聞いたら、なんとその歌詞の心に滲みること滲みること。また改めて尾崎ファンになりました。 というわけで、今日は『ふたつの心』。1992年の尾崎豊逝去の翌月にリリースされたアルバム『放熱への証』に収録された曲です。遠く離れた異国の地で、愛を信じて、愛を糧に生きる。また、何度か出てくる「あるがまま」という言葉ですが、二人が二人でいることで、自分で居られる、自分らしくあれる、という愛の形を端的に表現していると思う。まったく他人だった二人が一緒に暮らし始めるわけだから、普通はお互いが努力して相手に合わせて変えていかなくちゃいけないんですよね。もちろんその努力も必要なんだけど、二人が二人でいることが、そのまま自然体で何の違和感もない、当然の結果のように二人が居る。これが「あるがまま」の愛なんだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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