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びたーあんどすうぃーと☆介護編

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モカマミ~

モカマミ~

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2004年11月13日
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カテゴリ:家族
私は長女です。
3月生まれで小学校低学年までは同じ学年の子よりも
勉強も運動もずいぶん劣っていました。
そんな私を母は大変厳しくしつけました。
寒い日に板の間に正座させられ勉強をしたり
足が遅いといえば毎日遅い時間までランニング。
母のコンプレックスを解消するためでした。

父と母はけんかばかりしていました。
母はしょっちゅう部屋でひとりで泣いていて
まだ10歳くらいだった私は一緒に泣くか
どうしていいかわからず見ぬふりをするしかできませんでした。
母の両親がうちに来て父に土下座しているのも
何度か見ました。
父はそれを感情のまま足蹴にしたりしていました。

母は私の事を嫌っていました。
当時の日記にも私が笑っているのを見ると憎たらしい、とか
そんな言葉があるのを後から見て
感づいてはいたけれどやはりショックでした。
一度母に手紙を書きました。
「私も妹たちみたいにお母さんと仲良くしたい」
次の日、母は私を見て鼻でフンと笑い
「バカじゃない?」といいました。
それからは私も諦めました。

母との関係が回復したのは両親が離婚してからです。
離れて寂しくなったのでしょう、電話をかけてきては
いろいろな話をしたりしました。
私もその頃はまだ複雑な思いはあったけれど
寂しそうな母を見ていられなくて
できるだけ家を訪ねるようにしていました。
行ったのに会えなかった時はドアにメモを挟んで帰りました。
母が亡くなった時の荷物の中にはそんな小さなメモが
いくつも残っていました。
小さな切れ端、でも、大切に取っておいてくれたんです。

その後、父に追い出され行くあても仕事もなく
母に相談すると私の決意を反対もせず
受け入れてくれました。
こうして母と同じスナックで働き始めました。
寮の隣の部屋で毎日一緒でした。
買い物に行くのも飲みに行くのも時にはデートも。

そのうち私の結婚が決まりお店のお客だった事もあり
そんな事情からお店をうつる事にしました。
この時私の結婚でごたごたがあったようで
母は辛い思いをしていました。
お客さんはホステスと擬似恋愛を楽しみます。
私の持っていたお客さんのやきもちが母に飛び火していたのです。

もともとうつだった母は・・・とうとう力尽きてしまいました。
原因はこのことばかりではなく本当に色々ありました。
遺書にはそんな事一言もなく
ただ「ごめんね」や「ありがとう」や「幸せになってね」の言葉が綴られていました。

母と前日深夜、電話で話していました。
最後に「なんか言おうと思っていたのに思い出せない」と言うので
「思い出したら電話してよ」といい切りました。
あの時、何かに気付いていれば。
後悔するばかり・・・。

木枯らしが吹くとても寒い日でした。

今でも母と話をします。
モカモカのこと、ダーリンのこと、辛かったこと、楽しかったこと
返事は無いけれど聞いてくれているような気がします。






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最終更新日  2004年11月13日 06時11分28秒
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