テーマ:アートワーク。(107)
カテゴリ:アート リーディング(十牛図)
少し前に、このブログに書きました、「《すごい人》」とも関連することなのですが、このお話しを始める前に、みなさんは「すごい人」という言葉を目にして、連想した人は、いったいどういう人だったでしょうか?
あたりまえのことなのだけど、おそらくひとりひとり、連想した「すごい人」のイメージは、違っているはずだ、思います。 ・ 世界的に良く知られている著名人 ・ 世界経済を牛耳る影の存在 ・ ノーベル賞を取る人 ・ 世界的な大富豪 ・ 神通力を持った山奥の大仙人 などなど ひとりひとり、連想する「すごい人」のイメージは、違っていたはずだ、思います。 そして、そのあなたが連想した人のイメージこそが、あなたにとってのすごい人、ということになるわけですよね。 私が感受していた「すごい人」と、みなさんが連想した「すごい人」の間には、大きな違いがあるかも知れない。そのことに気がついて、この文章を書いてみることにしました。 私が出会った「すごい人」のおひとりは、普遍的に偏在することが、できる人、です。「は?それ、何?」と思われるかも知れないのですが、私は今のところ、このような言葉を使うしか、言い表す表現を知らないので、ここのところはご了承くださるとたすかります。 それで、これから、その、「普遍的に偏在できる。」ということの内容を、書いて行こうとしてみているわけですが、なかなかこのあたりのことは、言葉に置き換えるのは、難しいです。 わたし自身、9ハウス射手座に土星があるせいか、講座というものは、自分がそれを受講するにしても、自分がお絵描き講座を開催するにしても、「根幹」的な意味合いを持つことが、多いのだと思います。 若い頃から、射手座的な講座はたくさん受けてきましたが、その普遍的に偏在しているすごい人は、講座の中でも普遍的に偏在しているので、たとえば参加者が70人居たとしたら、「その70人にとって、一番真剣なテーマを取り上げることが、できる」のです。 ううむ、こういう言い方だと、うまく伝わらないかもしれないな。もっと良い、表現があるはずなのだけど。 「そのすごい人は、70人の参加者、ひとりひとりと寸分のずれがなく、存在することができるのです。」という表現だと、ちゃんと伝わるかしら? いやいや、このことはやはり、直接的に体験する以外、言葉で間接的にお伝えすることは、やはり限界があるのかも知れません。 でも、すごい人たちはそれができるので、その講座は最初から最後まで、「受講している私のための講座」となります。「わたし」と「あなた」と「みんな」の間に、「ずれ」や「開き」が全く無くなるのです。 このように書くと、すぐに、「マインドコントロール」だ、とか、そういう言葉を使うことで、理解の引き出しに収納して納得して終わろうとする、社会的風潮はあるわけですが、でも、そうしてしまったとしたら、それはとっても、もったいないことのよう、私には思えます。 そこのところは、個人の自由だから、べつのそれでも、良いわけですが。 わたしには、とてももったいなく、思えます。 普遍的に偏在する講座ができる人は、そうたくさんいるわけではなくて、なのでそういう講座と出会えると、うれしくなって、興奮して、すごい!すごい!と、なってしまうわけです。 そして、実は重要なのは、ここに書いたことなのではないのかもしれない、とも、最近は思っているのです。 すごい!すごい!は、十牛図の場合は、第七図に相当します。十牛図はそのあとに、第八図もあれば、第九図もあって、そして第十図もあります。(もっとも、普遍的に偏在できるのは、第七図だけではなりえなくて、第八図の状態なわけですが。) 十牛図では、第十図の絵柄に、人と人との出会いが描かれていて、だけど、私がここに書いたような、普遍的に偏在できる人との出会いは、十図に描かれた、おじいさんと若者のように、何もしなくても、何も有益な話をしなくても、ただ、「飯は食ったか?」くらいの会話だったとしても、その後の若者は、影響を受けてしまうわけです。 その、受ける影響とは、(わたしは、今回のすごい人たちとの出会いの中で、新しく気がついたのだけど)、おそらく「平たんな二次元の歩み」から、一挙に、「三次元の螺旋の道へ」いざなわれてしまうことなのではなかろうかと、そのように感じたわけなのです。そして、このことこそがとても大切なことなのではないだろうかと、最近は考えている次第です。 ☆ 今季洋の占い鑑定・占いレッスンは、どうぞ《こちら》をご覧ください。 ☆ アトリエえんどうまめのHPは、《こちら》です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.03 10:17:11
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