カテゴリ:散歩・日帰り・県内の旅
「江~姫たちの戦国~」でも時代考証を担当されている戦国史研究の第一人者、小和田哲男静岡大教授のこの著書。
の22p辺りに登場する梶原景時の件り、 鎌倉幕府に於いて身の危険を感じた景時が一族郎党と共に京都に向かう途中のこと。 「吾妻鏡」に依るとたまたま射的の練習を終えて帰ろうとした駿河の武士たちを「追っ手が先回りしている」と勘違いした景時方と戦いになった場所。 そここそが夫がここじゃなくて行きたかった場所なのでした 初志貫徹で、老体に鞭打って登ろうと決心した中年夫婦。 あ、でもこっちの方が道が整備されてて歩き易そう。 手前に髪洗(びんあらい)の水という泉(ってほどでもない、今は)もあるのですが、写真消失 ここで、景時は自害したそうです。 3人の子供と共に。 墓は梶原堂にあり、位牌(頼朝と景時のみ)もそちらに納められているそうです。 なんじゃこれ…
尚、小和田教授の見解に依れば北条時政の連絡を受けた駿河武士団が待ちうけて戦いになった、との見解が自然だろうと。 詳しくは本読んでね☆ この時の武士、庵原小次郎、飯田五郎、渋河次郎、吉香小次郎、矢部平次、船越三郎らの苗字が現在の清水区の地名に残っています。 知らなかった 雪だるま4126さんご存知でした? 筆者注 渋河は渋川。吉香は吉川(きっかわ)か。 清水出身、山城好きのこの方は訪れたことがあるのかしら?(城じゃないけど)
帰りは今後のためにかわもと工房さんの前を通って夫に場所覚えて貰いました ブログランキングに参加しています。 やっぱり歴史好きにはこちらよね~と思われましたら 応援クリックお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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