義母の入院中の回想、その2
義母が入院してから、義父におかず届けの毎日、パートの仕事して、買い物行って、炊事して、届けて・・・と慌ただしい毎日になりました。ずーっと前の『お気楽』の頃のブログからご存知の方は、知っておられると思いますが、その頃の私は、娘のジュニアバレーにどっぷり はまって、娘のバレーが生活の一部みたいになっておりました。それと、小学校のPTA役員を毎年ひき続けてやっておりましたので、多忙に多忙が重なりました。特にジュニアバレーは、土日の試合や練習は必ず顔を出し、平日の練習日も時間を作って少ない子供たちの練習相手のために・・・というより、自分が楽しみで行っていました。娘が最上級生になったとき、部員数が7,8人に減り、相手コートに親が入ってやるのが当たり前になったし、保護者がボール出しやコーチの補助に2名ずつ当番制、その当番のときは、練習開始30分前くらいから監視員みたいに立ち会うことになっていたので当番の日は、パートから帰ったら即、ジュニアに。当番も少ない部員だったので3回に1回・・・すぐ回ってきてました。でもそれが楽しみであり、生活の一部であったので、苦にはならず、逆に頑張りの素になっていました。パートから帰ってすぐバレーに行っていたので、夕飯はいつもバレーのあとになり、お弁当や適当に買ってきたもので済ますことも多かったです。そんなときに義母が入院、義父へのおかず届けが始まり大パニック。義父をバレーが終わるまで待たすわけにはいかないので、バレーに行く前に義父へおかずを届けなければなりません。あの頃の忙しさは目が回るほど・・・だったけどそれでも、バレーのためにバレーに行くためにいろいろやりくりして、バタバタしてはいても、それなりに充実感がありました。じいちゃんの分がなかったら、こんなにバタバタしなくてもよいのに。。。とかストレスはありましたし義母が手術前に、一時退院をしたことがあって『家族がいらっしゃる、土日にかけてがいいですね』と義父が勝手に日にちも決めてきて、その日が娘のバレーの大会になっていて、ずーっと前から楽しみにしていた大会を見に行けなかったこともあったりで、イライラ感も絶頂に至っていました。直接的な義母のお世話は義父がするのだけど、炊事ができないから義父の毎日の食事に加え義母の病人食までも3食きちんと用意しなくてはならず、義母の一時帰宅のときは一日中、食事の支度をしているような感じでした。朝を食べさせたらすぐ昼の買い物、支度、昼が済んだらすぐに夜の支度。噛む力が弱くなっているから、すごく柔らかく煮ないといけないので、すごく時間かけてやってました。バレーのために頑張っているのに、バレーに行けない悶々とした気持ち。日にちを相談してくれたら・・・と勝手に進められるイライラ。それもだけど、別世帯の長男の嫁なのに、義母を連れて帰ったら当然、ごはんの支度はしてくれるものとして『こういうことになるけど、食事の支度をよろしく』なんて一言も言われたことがありません。たとえば用意しなかったとしたら『なんでやってくれないんだ』状態。『週末、一時帰宅だから』とニコニコしながら言う義父。長男夫婦は自分の右腕、いいなり、配下・・・みたいな扱いだと感じております。