藻城さんの思い出
こんな目立たないブログに目を留めてそしてコメントをくれるなんてとてもうれしかったのです。いちRさんの気持ちに応えたくて高知を歩いた時の記事を振り返り、記憶をたどります。~黒潮町 熊井ずい道 高知さんと藻城さん~高知(修行)H22年秋遍路 37番岩本寺~高知(修行)H22年秋遍路 38番金剛福寺7件に書き留めてあります。カテゴリの中の<歩き遍路88>のカテゴリを開いてみてください。(もぅ見られたかな?)私は区切りで春と秋に一人で歩いたオバサンです。藻城さんと知り合ったのは2010年、もぅ7年経つなんて驚きました。1日目 10.10 晴れ 影野駅~37番岩本寺2日目 10.11 晴れ 37番岩本寺~民宿<たかはま>3日目 10.12 晴れ 民宿<たかはま>~民宿<久百々>4日目 10.13 晴れ 民宿<久百々>~38番金剛福寺影野駅で降りた私が岩本寺の宿坊に着いたのは夕方でした。大広間には団体遍路さん、歩き遍路も沢山いて夕食は始まっていました。藻城さんは年上のうえに、すでに25回も回られていたので話の輪の中心でした。出遅れて席に着いたわたしは耳をダンボにして聞いていました。 ~焼却所~翌朝、次々に歩き遍路は宿を発ちましたが私は偶然、藻城さん・神奈川さんと前後して歩きました。日記の中では藻城さんは京都さんSさんは神奈川さんと呼んでいます。どちらも健脚で、いつの間にかわたしとの間は開いていくのですが分かれ道や要所で2人は待っていてくれました。市野瀬遍路道の下りは夜中の雨で足元が危うく前を京都さん、わたし、後ろを神奈川さん、とフォローしてくれました。彼岸花の写真は神奈川さん、左の影が藻城さんです。 先を行く2人ですが、度々喫煙のために休憩をとるので結局追いついて、追い越し、また追い越されて・・・その繰り返しです( ´艸`)市野瀬をこえてきたところの椅子で一服、佐賀温泉の遍路小屋で一服・・・「煙草を1本吸う時間を一服というんだよ。一服吸うのは15分くらいだ」なんて言ってました。~高280M~この日は食事処が少なくて、[うどん!うどん!]とみんなで「庄寿庵」目指して歩きました。白衣姿が何人も並んで美味しくいただきましたっけ。2日目の宿はわたしは「たかはま」2人は少し先の「日の出」でした。3日目は何故か道中は一緒にならず、わたしの宿入りも夕闇迫る頃のラストでした。<久百々>の玄関先には椅子に座ってビールを飲む男性陣。朝早く発ち、3時か4時位の早めに切り上げて一番風呂に入るのが好きな藻城さん。夕焼けに染まる海を見ながらご機嫌でしたよ。 ~佐賀温泉~<久百々>はお気に入りのお宿とかで、設備の不十分だったお宿に尽力された話を聞きました。他に33番寺門前にある<高知屋>さんのPRもしていました。「久百々や高知屋に泊まってよ。宣伝することで協力してるんだ。」と言っていました。その夜は22時まで飲んでいて(普通歩き遍路は20時頃には布団に入ります)その時の写真は久百々のブログ内の写真館2010.11.10にあります。(日付けが違うような・・・?)写真の中に額入りの観音様?の絵が見えます。確か・・・藻城さんが描かれたものです。 ~鍵掛~4日目女将さんはみんなに軽食セットをお接待してくれます。おにぎり、バナナ、お菓子、乳酸飲料・・・「おかぁさんのはお接待じゃない。お節介や~」と嬉しそうに何度も言ってましたよ。藻城さん、別宿に泊まった神奈川さん、私、この日はそれぞれのペースで足摺を目指します。窪津港を過ぎると右手に急坂の歩き遍路道があります。保存協会の赤点線の道です。「眺めがいいからこっちをあるいたほうがいい」と勧められましたが、見ただけで意気消沈、車道を進みました。この後、てくてくと岬を目指し38番寺にやっと着くと門前で神奈川さんが出迎えてくださりました。藻城さんが私が歩き終えるかと気にしていてくれたそうで藻城さんは宿へ向かいましたが神奈川さんが見届けるために待っていてくれたのです。わたしはここで区切り終えて、バスで高知に戻りました。 どんな小さな事でも・・・と思い出してみましたが、この位で参考になりかどうか・・・ごめんなさい。この後も神奈川さんと南光坊まで同行したそうなので神奈川さんなら色々と知っていると思います。藻城さんの賀状の中に神奈川県のSさんの便りがあるはずです。是非お四国を歩いてみてください。どの道でもどの宿でも、藻城さんの好きな四国を感じることができますよ。白い靴を自慢していた藻城さん。白装束がお年を感じさせない程、オシャレさんです。