歩いて見よう、知多八十八寺 13番寺~17番寺
~七本木池~前回は12番寺、54番寺まで歩いてJR<亀崎>駅であがりとしたので、この日はここから独り歩きスタートです。地図は<歩き巡礼知多四国めぐり>を参考にします。名鉄電車の<歩いて巡拝知多四国>は名鉄駅を中心にコースを決めているので、知多半島を一筆書きの様に歩いているわけではありません。ですから、ひとりで歩いていると歩行距離は長くなり、名鉄巡礼の参加者はすでに三分の二は歩き終えているのに、オバはんはまだ序の口です。名鉄の企画はほとんどが土曜日なので、仕事のある身ではなかなか参加できません。独りで気ままにあるきましょう。知多半島を横断する46号線は「車が多くて危険」と地図にあるので、住宅街を抜けて、のんびりとした道を選んで進む事にしました。Googleを見ながら住宅街をポコポコ歩いていると、牛舎が見えてきていつの間にか畑道になっていました。彼岸花が綺麗です。田舎を思い出します。クラブ活動に行く中学生が自転車で追い抜いていきます。どうも近道みたいですよ。方向音痴になりそうなので、46号線に合流しました。5km歩いて小川にかかる橋を渡って13番・安楽寺。本堂と対面する大きな水子地蔵があります。~安楽寺大師堂~安楽寺から14番寺を過ぎるまでは小川をはさんで車道とは別に歩道があります。ほんの1kmほどですが、なんだかかわいい牧歌的な小道で、気持ちいいですねぇ~「ぜんぶ青い」この日はよく晴れて、最高気温は29℃。自慢じゃないけれど(〃艸〃) 25℃以下が歩く目安、四国遍路でも29℃の道なんて歩いたことがない。暑くてなんだか、ボ~ッとしてきました。~14番・興昌寺~0.5km歩いてお隣さん。門前には<半蔵行者堂>があります。写真の左手、ミラーの向こうです。知多四国開創の開山の一人、岡田半蔵を祀ってあります。半蔵は付近の橋住村の農家に生まれたが、妻子を亡くし行者になる。家屋敷畑を売却して開創の資金にした。今も、<半蔵屋敷><半蔵田>などの地名が残っている。無人駅の名鉄線<坂部>を超えて、少し坂を登ると15番・洞雲寺です。徳川家康の生母、於大の墓所があります。隣に見える小高い山は坂部城跡です。~ステンレスの笠の線香立て~徳川ゆかりのお寺のためか、見たことない斬新なデザインの線香立てと大師堂にビックリです。灰の上に網を乗せてありますね^^お寺さんの几帳面さが伝わります。新築したお堂の重厚な扉を恐る恐る開けると、中は冷気が流れて神聖な雰囲気です。なんと~冷房がついていました。涼しくて居心地満点です。いままで四国や西国といくつもの大師堂を訪ねたけれど、冷房付きは初めてです。~坂部城跡~尾張誌には「坂部村にあり、其跡東西40間(約73m)南北50間(約90m)英比(あぐい)の城ともいふ。」とある。家康生母・於大の方は1547年、城主の久松俊勝のもとに再嫁し俊勝が岡崎城代として移るまで15年間在城した。その間、熱海や駿府で人質の身であった家康に手紙や衣服を贈り続けた。桶狭間の戦いを控えた1560年この地で母子は再会をはたした。少し登ってみましたが、城跡は広場になっていて訪れる人も少ないのか草が生え、たちまち蚊の大群に襲われました。チエッ。区切りの良い所で、残すはあと二寺です。住宅街を向けて2km歩くと17番観音寺。道順の都合で17番を先に参ることになるが、裏手の細い道から入るかたちになります。木が茂る狭い境内です。一段上がった隣には神社があって、丁度、虫切り祭りをやっていて近所の人がたくさん子供を連れて来ていました。浄土宗に属する観音寺の前身は、西にあった樫木田村の<観音堂>で知多四国霊場が開かれた1824年以前に現在の高岡村に移されたようだ。S23年に観音堂から観音寺に替わった。そのためか境内はとても小さくお堂には住人はいないようだ。正面の階段を下るが、こちらからお参りしたら印象も大分ちがっただろう。0.5km歩いて16番平泉寺。この日は秋分の日だったので、お寺はお墓参りの人が多く、どのお寺の境内も賑やかだった。名鉄河和線沿いに南向きに歩いて大型スーパーを過ぎたら<植大>駅。普通しか停まらない無人駅です。この日は金山駅で名鉄線からJR線に乗り換えるのに失敗して、スタートが予定より1時間以上遅れてしまいました。出鼻をくじかれた上にこの暑さ、11kmで結構バテました。帰ります。