中山道 深谷宿 しっとりと古き建物
5月6日 曇り時々晴れ 本庄駅〜深谷宿・深谷駅 11キロ 出発9:30 到着14:305月の連休の週間天気予報はいまひとつだったが、歩き始めたら1、2日目はよく晴れました3日目、本庄駅を降りて前日の続きから歩きます夕方には雨が降り出す予報だが、広がる雲の間から時折陽がさして気温はどんどん上がってきました!〜宝珠寺〜車道からお寺の朱色の山門が見えます参道の木立の緑に映えて美しいこの日は暑過ぎて寄り道する気にもならず、そのままスル〜日の出地区に入ると畑が一面に広がります今は何もないけれど、この辺りの名産の大根が植っていたのかな?風を求めて、土手を歩くことにしました最終日は歩けるだけ歩いて東海道新幹線を使って今日中に帰る予定だったけれど、相方が肉刺が潰れてテンションだだ下がり💦 四国では二日目に肉刺ができたもので、運悪く潰れても次の日もなんとか歩いちゃう私だけど、経験のない相方はビビりまくり〜 更にこの暑さがやる気を削いでいるようで、歩くほどに口数が減ってきています(これ以上はダメかなぁ?)なんて内心思う〜滝岡橋〜1928年造設 鋼製八連橋 国の有形文化財の滝岡橋を渡って岡地区に入って行きますこの辺り、旧道と道の駅のある車道が交わっていて、木の茂った坂道はわかりにくく、幕末に建てられた庚申塔群を見損なっていました、残念馬頭観音の向かいに、歩き人にはありがたいお休み処があると聞いていたので、楽しみにやってきたけど休業中、残念たまたまいあわせた店主さんと話せましたが、いつか再開したいと言ってました〜正明寺〜旧岡部町を歩くと岡部藩や岡部六弥太忠澄氏にゆかりのある寺社や石碑があります岡部六弥太忠澄…どなたでしょう?調べてみました〜滝澤酒造 菊泉〜この辺りには武蔵国を中心に勢力のあった武士団、七党のひとつの猪俣党があり、保元の乱、平治の乱、一ノ谷の戦いで活躍した猪俣小平範綱と岡部六弥太忠澄が有名 源義朝、頼朝、義経に仕え、木曾義仲を追討し一ノ谷では平忠度を討ち取った(資料参考)800余年の時を経ても地元の方に大切に崇められていますね〜深谷宿〜 顔がポッポと火照り出し、気温がかなり上がってきたのがわかりますこの日の予報最高気温は28度最高気温がよく出る熊谷はすぐそこです多分日陰のない車道の上は30度近くになっていたでしょう💦〜七ツ梅酒造〜手元の中山道の本は2019年春に発行されたもので、載っているお店は5年は前のもの、その間にコロナ禍が続いたので閉店したお店がありましたボーっと歩いてきて、思わずうなぎ屋「うな和」に吸い込まれる様に入りました主ひとりでまわしているから時間がかかったけど、丁寧に接客してくださり、ゆっくり休めて腹ごしらえができました〜七ツ梅酒造の再利用〜うなぎを待ちながら、今回は無理せずには深谷駅をゴールにすることに決めました深谷宿は舟運の中瀬河岸を控えて商人町として発展し、江戸を出立した旅人の二日目の宿地としてとても賑わいましたひとつ手前の熊谷宿が飯盛女をおかなかった為、深谷にはたくさんの女が集まったとか…東口と西口には常夜灯があり、その間1.7キロの宿場には江戸時代から昭和初期の古い建物が残っています明治20年郷土の渋沢栄一たちによって、日本で初めての機械式煉瓦工場が造られた煉瓦の町三件あった造り酒屋、滝澤酒造、藤橋商店、七ツ梅酒造の建物がしっとりとした街並みを作っています七ツ梅酒造は、元禄7年(1694年)に近江商人の田中藤左衛門が創業した酒造です創業以来300年の歴史を有し、県内でも1、2を競う老舗蔵元でしたが、2004年(平成16年)に廃業し、現在は所有者の意向を受けて、一般社団法人まち遺し深谷が、この歴史的・文化的な施設の保存および運営・管理を行っています昭和の映画セットの様な建物には、食べ物屋、古本屋、古着に雑貨…映画館までありましたが、維持していくのは大変でしょう 深谷の信号を曲がり、深谷駅でゴールにしました深谷駅は東京駅を真似た煉瓦作りの可愛い駅舎でしたそのレンガに向かって立ちションしているおじさんに遭遇して、今の時代そんな方かわいるのかとビックリしました昭和をたっぷり味わえましたよ