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テーマ:ニュース(100221)
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今日は生存者の一人、落合由美さんの証言を何回かに分けて紹介します。
その時の様子がリアルに語られています。 ちょっと長文ですが・目を通していただければ、と思います。 こちら事故直後から墜落寸前までのコクピット内の会話の内容が飛行経路とともに詳しく解説されています。 画像の上で右クリックして、再生でご覧になれます。 生存者の一人・落合由美さんの証言 離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。 女性や子供の姿が多く、いつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。 私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。 禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。 そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。 テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。 「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。 急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。 前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。 音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。 私は思わず天井を見上げました。 しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。 お客様からは、「うわっ」という声がした。 女の人だと、「きゃっ」という、一瞬、喉に詰まったような声。 騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。 耳は,痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。 ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。 しかし、それもすぐに直りました。 「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。 ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。 それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクが、わんわんわん、とバウンドするような感じでした。 ひっぱると、酸素が流れだして、口もとの袋がふくらむ。 酸素が出てこないのもあったけれど、足りないということはありません。 ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。 マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。 ベルトについての指示はなかった。 お客様はまだベルトをしたままでした。 煙草をすぐ消すように、という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的についたようでした。 あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインがついていましたから。 しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。 急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることは、もちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり、衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだな、と考えたのですが、しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。 酸素マスクが落ちてくる光景は、訓練では見ていますが,実際に経験するのは、もちろんこれがはじめてでした。 やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。 かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。 私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。 ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。 その霧のようなものは、数秒で消えました。 酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。 白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。 すっと消えた、という感じだったのです。 匂いはありませんでした。 こうした白い霧というか、靄のようなものが出るのは、急減圧の場合の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。 はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。 そのときは、エキストラ・マスクをひぱって、口にあてていました。 マスクのチューブは伸ばすと、けっこう伸びます。 三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、まわっていたようでした。 このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。 しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。 あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。 ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。 きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。 トイレのドアはしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。 壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。 壁のパネルがどこかにいったのかはわかりませんでした。 そして、壁のはずれた向こう側に、運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました。 オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。 ぴんと張ったのでもなく、ヒダの多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。 これもあとで整備の人に聞いたのですが、裏のほうには、そういう布があるのだそうです。 それが破れたというふうではなく、風にあおられたように、ひらひらしていたのです。 そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいた、ということはありませんでした。 もうひとつ、私の頭上の少し前の天井に、整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。 壊れたのではなくて、何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く、何も見えませんでした。ただ天井の荷物入れが下に開くということはありませんでした。 このときにはお客様は全員、酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。 酸素マスクをして、呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなっかたのかもしれません。 でも、とても不安そうにして、きょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣き声がしたかどうか、覚えていません。 いつ点灯したのか気付きませんでしたが、「EXIT」と「非常口」を示す、エマージェンシー・ライトはついていました。 座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか、記憶にありません。 ライトをつけていて人がいたかどうかも、覚えていないのです。 時間的にはそろそろ暗くなるときですから、つけていてもおかしくないのですが、気がつきませんでした。 こうしているあいだも、飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。 ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。 「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって、酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。 ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。 ダッチロール(※1)という言葉は、知りませんでした。 飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。 振動などは全然ありません。 (ダッチロール・・・機体が左右に揺れる状態) とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。 急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。 だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。 私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。 かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。 お客様は窓の外を眺めたり、なかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。 機内の様子は、あわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階では、まだ何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。 ただ、コックピットからの連絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月29日 23時22分08秒
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