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テーマ:ニュース(100216)
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以前、新聞に載っていたものを切り取って保存していました。
あまりにキレイな詩であったのでいつかブログで紹介したいなぁ・・・と思っていました。 この詩を書いた佐藤源治氏は戦後、日本の土を踏むことなくジャワ島にて法務死されました。 (法務死・・・法務死(ほうむし)とは政府が犯罪と認めなていない 戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を指す用語。 ちなみに日本政府は戦犯処刑者も公務死と認定して恩給なども支給している。) 戦死者、「戦犯」とされた方々の犠牲の上に今の日本がある。 私たちが今考えるべきことは何だろうか?? 平和な社会を作る・・・その為には何をすべきなのか・・・?? こればかりはいくら考えても答えが出ない気がする。 * * * * * * * * * * * 陸軍曹長 佐藤源治命 昭和23年9月22日 ジャワ島ツビナンにて法務死 岩手県出身 32歳 僕は唱歌が下手でした 一. 僕は唱歌が下手でした。 通信簿の乙一つ いまいましさに 人知れず お稽古すると 母さんが 優しく教へてくれました。 二. きょうだいみんな 下手でした 僕も 弟も 妹も 唱歌の時間は 泣きながら 歌えば皆も 先生も 笑って「止め」と言ひました 三. 故郷を出てから十二年 冷たい風の 獄の窓 虫の音聞いて 月を見て 母さん恋しと 歌ったら 皆が 泣いて 聞きました 四. 僕のこの歌 聞いたなら 頬すり寄せて 抱き寄せて 「上手になった良い子だ」と 賞めて下さる ことでせう 唱歌とは・・・明治の学制以降昭和一六年(一九四一)までの学校教育における 音楽教育の教科名。また、その学習活動や歌曲。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月24日 01時19分44秒
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