テーマ:徒然日記(23262)
カテゴリ:回顧録
目が覚めた時、私はまだ手術台の上だった。
無事に手術が終わったのだ。 私は麻酔が切れるのが早くて、今回も麻酔科の先生が「しっかりかけとくね~」と言ってくれた割にはサクッと目が覚めた。 もちろん、まだ朦朧とはしていたが、手術台からベッド、オペ室→エレベーター→病室までの道のりはすべて感覚があった。 エレベーター前で両親の顔をみてVサイン。 無事をアピールした。 手術の後、一晩だけはリカバリー(回復室)というナースステーションから近い病室で看護師さんが状態を見守ってくれる。 1時間に1回、血圧やら血中の酸素濃度、点滴などをチェックする。 今回の術後の一晩は本当にしんどかった(T。T) もう手術はイヤだなぁ~と思うぐらいしんどかった。。。 傷口の痛みは我慢できたのだが、寝返りをうった時に猛烈に襲ってくる吐き気にやられた。 少し眠っては気持ちが悪くなって目が覚めるの繰り返し。 何度も吐き気止めの薬を点滴から入れてもらい、長い、長い一晩を何とか越えた。 朝、「昼前に少し歩いてみましょう」と看護師さんに言われる。 前の手術の時もそうだったが、手術の次の日から歩かされる。 どんどん動かないと癒着をおこすので、看護師さんはスパルタである。 少しでも早くリカバリーを出て、自分の部屋でその日最終回だったNHK朝の連続ドラマ(再放送)を見たかった私は点滴台に掴まりながら、ヨロヨロと必死に歩いた(笑) 無事に自分の部屋に戻れた私に看護師さんが一言。 「お昼からお粥出ますから☆」 ええっ~~!! 昨日の朝から何にも口にしてないんですけど・・・ お昼に出てきた食事はご飯こそお粥だったが、おかずはしっかり秋刀魚だった。 無理っス・・・食べれません・・・。 たった二口しか食べてないのに、その報告を聞いても看護婦さんは「夕食は普通食です☆」と動じない。 「食事が取れれば点滴は外しますからね」 最初はその言葉を信じてなかった。 前回は1週間は点滴をしていた。 いくら医学は進歩しているとはいえ、オペ翌日に点滴を外すなんて。 抗生剤はどうするの? 化膿するやん?? でも、予告通り、夕食後の抗生剤の点滴の後、あんなに苦労してやっと入った針をあっさり抜かれてしまった(^。^;) じゃあ、きっと内服で抗生剤やね。 と思っていたが、それもなかった。何にもなかった。忘れられてるのかと思うほど・・・(笑) 3年の間に医学は目覚しく進歩し、現在は術後の抗生剤も最小限らしい。 もちろん傷の大きさや病状によるだろうけど、私の場合は本当にしっかり食事をして、適度に動き、安静にするだけだった。 抜糸もオペ後3日目で(これにはホントにびびった)先生は 「もう退屈やろうから退院するか~?」とのたまった。 最初はその言葉にびっくりしたが、入院していてもすることがないのが事実だった。 薬はないし、抜糸をすれば消毒もないし、ないないずくしだ。 先生はまだ居てもいいよと言ってくれたが、実家で療養することが決まっていたので、食事や身の回りのことに心配のない私はさっさと荷物をまとめた。 かくして私は、オペ後4日目で痛い傷口を押さえながら、ヨロヨロ、フラフラと退院したのだ。 ちなみに写真はオペ翌日の夕食。 チキンのカレーソテーがメインだった。 デザートに巨峰もついてて結構ごちそう☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月21日 21時04分34秒
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