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ももも。のおスイス暮らし

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2005.03.30
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カテゴリ:つぶやき
イースター休暇が終わった。


イースターはカトリックの行事だそうだが、私にはただの連休であった。
ダンナ達にもそうであった。

ダンナにイースターとはなんぞや、と聞いても、大まかな意味はわかっていても、
深い意味までは説明できなかった。

彼はプロテスタントなのだが、熱心な信者ではない。
教会に行くのを見たこともないし、
私達が教会で挙式をしなかったことも、誰も文句を言わなかった。

ダンナと義妹がプロテスタントな理由は、ただ義父がそうだから。
義母はカトリック、両親の宗教(宗派)が違う場合、普通は父親の宗教を引き継ぐらしい。
単純に考えると、私達に子供が生まれたら、
その子達はプロテスタントとして洗礼をうけることになるだろう。
私は一応無宗教だと言っているけど、やはり仏教や神道がどこかでベースになっていると思う。
私の中では洗礼は、お宮参りや七五三のように、
子供の健やかな成長を願う儀式だと解釈しているのだが。


イースターとはなんぞやで、ちょっと宗教のことを考えてしまったのだが、
こう考えるようになったのは、スイスに住むようになってからだと思う。
いくら周りに熱心なキリスト教(カトリック・プロテスタント)信者がいなくても、
私のベースが仏教と神道の影響があるように、彼らのベースもキリスト教だからだ。


一度、メキシコ人のクラスメイト(カトリック)に、

「あなたは無宗教っていうけど、じゃあ何を信じているの?」

と聞かれたことがある。


「あなたが信じているような神ではなくて、
 例えば水や森、土といった自然の中に、それぞれ守護神のようなものがいると思っている。
 そして、今自分がここにいるのは、先祖のおかげだと思っている。」

と私は答えた。

彼女にとって、私のような考えはカルチャーショックだったようだ。
と同時に自分もいろいろ考えさせられた。


最初に行ったドイツ語の学校は、イスラム教の人が多かった。
私は純粋に興味があって、「なぜ豚肉を食べてはいけないのか?」とか聞いた。
その質問で、ヨルダン人の女性とトルコ人の男性が口論になってしまった。
同じイスラム教でも捉え方がいろいろある。

宗教のことはデリケートすぎるので、人それぞれの宗教や考えは尊重したいと思う。



スイスに住むようになって気付いたことは他にもある。

スイスの外国人の割合は20%だと言われている。
私はその内訳を知らなかったから、スイスに移住して、初めてドイツ語学校に行くとき、
どんな国籍の人がクラスメイトになるのか、想像もつかなかった。
勝手に私のように、スイス人と結婚をする人ばかりだと思っていた。

1ヶ月目のクラスは、確かにスイス人をパートナーにする人が多かった。
アフリカから2人、フィリピン人、ブラジル人、どの人にもスイス人のパートナーがいた。
あとボリビア人の若い子がいたが、お母さんの再婚のため、スイスにやってきた。
旧ユーゴスラビアからの2人はスイスへの移民で、彼らのパートナーも同じ国の人だった。

学校に来て、いろいろな外国人がスイスにいることがわかり始めた。
ニュージーランドで出会ったほとんどの人は、経済的に恵まれた国の出身で、
語学学校には英語を学んでキャリアアップ、とかそういう感じで来ていて、
外国でお金を稼いで国に送金するために、まずは英語が必要とかそういう人はいなかった。
旅をしていても、そういう人に会うことはまずなかった。

スイスは語学留学というより、スイスに暮らすことになって言葉を習わなければ
という人のために、学校があるという感じ。

先生自身も南米出身、彼女の旦那さんはアフリカ出身ということで、
よく先生がスイスにいる外国人や、南米、アフリカ、アジアの実状みたいのも話してくれて、
日本って恵まれているんだなとつくづく思った。

パスポートもしかり、南米やアフリカ、東ヨーロッパ、アジアの多くの国は
ヨーロッパに来るのに、ビザがいる。
例えば、スイス人と結婚したら、スイスに滞在はできるけど、
お隣の国に行くのにもビザを用意しなければいけない。
スイスは小さい、そしてここはスイスの北部、ドイツとの国境も近い。
少し足を伸ばせば、フランスやオーストリアだって近い。
彼らはシェンゲン・ビザを、お金を払って手に入れるそうだ。
日本のパスポートだったら、東ヨーロッパ以外のヨーロッパだったら、どこにでも行ける。

自分の生まれた国、得た国籍によって、待遇とかは違うとは知っていたけど、
すごく身近でそれが起きていた。


2ヶ月目のクラスは、スイス人のパートナーがいるという人より、
東ヨーロッパからの移民が多かった。
それも最近来たばかりではなく、もう5年10年は住んでいる人ばかり。
スイスでは失業保険は300日出る。
そして失業中の学校の費用も政府が出してくれるそうだ。
今回急に東ヨーロッパ勢が増えて、そのことを知った。
東ヨーロッパの人の多くは、その失業保険で学校に来ていた。

それで初めて気付いた。

彼らは生活のために、祖国を離れてスイスに来ていた。
中には政治的もしくは人種的に国に戻れない人もいた。


トルコから来たおじさんはクルド人、スイス在住9年。
トルコではクルド語を話すことを硬く禁じられていて、話していたのを近所の人に密告され、
牢屋にぶち込まれ、目隠しされ、何年も体罰を受けていたという。
もう国には帰ることはできない、という。

先生自身も父親の軍事的な理由でアルゼンチンを追われて、
25年以上前ドイツにやってきたそうだ。
21歳でやってきた彼女はすごく努力したんだと思う。
ドイツ語のしゃべれない外国人ができる仕事の掃除婦をして、大学に行き、教師になった。

ドイツ語をしゃべらない外国人は何十年住もうが、掃除くらいしかできない。
トルコやイタリア、旧ユーゴスラビアからたくさんの移民がいて、
ある意味コミュニティができているから、ドイツ語をしゃべれなくても生活ができる。
そして、スイス人はこういうコミュニティにばかり属している移民達を嫌っている。
もちろんそれで満足の人もいるだろうし、言葉のハンディを克服して、
スイス人並みの仕事に着こうと頑張る人もいる。


私は日本という不況や就職難と言われてても、他から比べたら恵まれた国に生まれ育ったから、
外国に出稼ぎに行くという感覚がいまいちわからない。
私はどうも世界にはびこる華僑のイメージが大きくて、
彼らは中国に嫌気がさして飛び出したと思ってる。
それに彼らにはお金があったからこそ、外国に移り住めたのだと。

現に東ヨーロッパとかが、どんな現状なのかわからない。
戦争は終わったのだから、戦争難民は国に帰れると思うスイス人もいる。
本当に困ってかなりの覚悟で国を出てきたのか、
外国に行けばお金が儲かるという軽い気持ちなのか、それは人それぞれだと思う。



これらのことは恥ずかしながら、私がスイスに来て初めて知ったことであった。

世界にはいろいろな国があって、いろいろな事情があることを知った。
そして同時に、日本人として生まれたことに誇りを持ちたいとも思った。


まだまだ知らないことは山ほどあるけれども、スイスに来ていなければ、
それでも、私はこれらのことを知ることはなかったと思う。






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Last updated  2005.03.30 18:28:31
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