|
カテゴリ:できごと
ご無沙汰しておりますぅ。(* ̄_ ̄)ノウィッス♪ 日曜日に日本からスイスに戻ってきましたー。 って、きのうじゃなくって、1週間前の日曜日に戻ってたんですけどね(笑) 遅ればせながら、ただいまですぅ~3 「たらこ」が頭から離れましぇーん。たったらーたらたら~♪ えーっと、すぐにブログを再開する気にならず、サボってました ( ̄― ̄)ゞ あーい、とぅいまてぇーん。(帰国前夜に仕入れた新ネタ・笑) しっかしまぁー、 おスイス、さみーっ 11月に入って急に冷え込んだらしいですね。 なんと10月は観測史上一番ぬくい秋だったとか。 それ聞いて、いい秋を見逃したって、ちょっとくやしかった(笑) 朝の気温は零下、霜がはっていることが多いです。 日本がぬくかったから、ちょっとタイムスリップした気分。 スイスに着いた翌朝9時頃の写真 霜がはって気温は-0.5度、すっかり初冬色。 約1ヶ月半の里帰り、充実しすぎた日々でした。 免許の更新もできたし、念願の岩盤浴もしちゃったし、 久しぶりにお墓参りもできたし、両親と旅行もできたし、 なんちゃってハネムーンでハワイ島にも行ったし。 あげだしたらキリがないんだけど、 やっぱりなんと言っても、大好きな友達に会えたのが一番。 話しているだけで、すっかり癒されてしまいました。 いっぱい笑ったしー。 友達サイコー!! この人達をスイスに連れて帰りてぇーと、どれだけ思ったことか。 あと、岩盤浴と百円ショップも持って帰りたかったけど(笑) 以前日本からスイスに戻ってくると、スイスの生活に戻るのにエネルギーがいったけど、 去年の里帰りから、すんなりスイスの生活に戻っている自分がいます。 慣れてきているんだなー。 日本は故郷で、おうちはスイスなんだなーっていうのも、年々感じるかな。 昔はバックパッカーだった私。 美しい景色を求めて、宿を点々とする日々。 あの頃はあれが特別でしあわせだった。 今の私、一泊のおでかけでさえ、やっぱおうちが一番!のおうち大好きっ子。 まず荷造りがめんどくさい。長期留守にするために、生活を止めてくのもめんどく感じる。 行き先が日本であっても、やっぱおうちに帰ってくるとホッとするわ。 年とったってこと?! あ~、でも日本はええわ~。 この里帰りはハプニングがちこっとありました。 それらのことは、追々書いていこうかな。 さ~て、次回のももも。さんは・・・(サザエさん風に) ダンナです。スイスに戻ってきました。 帰ってきた翌日から仕事で、ヘロヘロです。 日本楽しかったんですが、しょっぱなから大変だったんです。 さて次回は、 ☆ 台風直撃の日にダンナ日本に上陸?! ☆ ハワイ島で地震?! ☆ 出先で父の車、動かなくなる?! ☆ 帰りのフライトで急病人?! の4本です。フガフッフ 最後のふたつは過ぎ去ってみれば、大したことがないんですがね。 これらのことのほかに、他の楽しかったこともいっぱいあるんで、 4本では収まらないであろう「日本滞在記」に、またまた去年同様なりそうです。 ************************************** 暗い話題になりますが、10/31にダンナのおばあちゃんが亡くなりました。 うちらは日本にいたわけですが、知らせはなく、 空港に出迎えにきてくれた義父の口から、帰りの車の中で知らされました。 そして、うちらを待って、11/8にお葬式がありました。 正直こんなに早く亡くなるなんて思ってなくて、 忙しさを言い訳に、日本に発つ前におばあちゃんに会いに行かなかったこと、 大変なときにここにいなかったことを悔やみました。 ダンナはもっと悔やんでいるはずです。 今は亡くなった直後に連絡をくれなかった義両親の判断を、ありがたくも感じています。 あとちょっとで帰ってくるんだから、せっかくの日本の里帰り最後まで楽しんで、 と思ってくれたんだと思うし。 そして、お葬式も待っていてくれた。 おばあちゃん待たせちゃったけど、お葬式に参列できてよかった。 おばあちゃんと私は、通訳なしでは意志の疎通が難しかった。 初めて会ったときはまだ結婚前で、私ドイツ語できなかったし。 私が少し標準ドイツ語ができるようになってきても、 おばあちゃんはスイスドイツ語しか話さなかったし、 私はおばあちゃんは標準ドイツ語ができないんだと思っていた。 おばあちゃんが本格的に具合悪くなったのは、今年の4月。 4/23の85歳の誕生日パーティには、酸素が必要だった。 そして、翌日入院。 医者から階段使用禁止が出て、階段だらけのおばあちゃんのうちには帰ることはできず、 退院後は介護ホームに行くことになった。 はじめは老人ホームも介護ホームも嫌がっていたおばあちゃん。 介護ホームに会いに行くと、入院中より全然元気で、楽しそうにいい顔してた。 おばあちゃんが私がいるからと標準ドイツ語に切り替えてくれたのは、 4月の入院中にお見舞いに行ったとき。 私はおばあちゃんはしゃべれないもんだとばかり思っていたから、正直びっくりした。 確か、その1年前にも入院してお見舞い行ったときは、替えてくれなかったのに。 誰から言われたわけでもなく、標準ドイツ語の方がいいねって切り替えてくれて、 おばあちゃんの旅話を聞かせてくれた。 介護ホームに会いに行ったときもそう。 自ら標準ドイツ語にしてくれた。 おばあちゃんと近づいた気がした。 語り合うっていうレベルではないけれど、 おばあちゃんと通訳なしで話せるようになれて、うれしかったし、 亡くなった今はなおさら、よかったなーと思う。 嫁である義母からおばあちゃんのイヤな部分も愚痴られてたけど、 いつも会いに行くと、ニコニコ笑って、手を両手で握ってくれる いいおばあちゃんでしか、私にはなかった。 そして、亡くなった今も、ニコニコ笑って手を握るおばあちゃんが浮かぶ。 旅好きだったおばあちゃん、 もう杖も大きな酸素の機械も必要ないから、いろんな所に行けるね。 さよなら、おばあちゃん。 85年6ヶ月と8日、お疲れ様。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[できごと] カテゴリの最新記事
|