私の宗教嫌いの理由。
私は幼稚園の頃には宗教が大嫌いになっていました。理由:人間地上主義だからです。18歳くらいの時に《陽明学》という思想に触れて、、、『これ、なんか、、、好きかも❣』と思いました。で、、、、それを実行したら自己顕示欲の強い人に嫌われました。嫌われたからって私は何とも思いませんでしたよ。私だって自己顕示欲の強い奴が嫌いですもの。お互い様でしょ。ってことで。何とも思いません。って言うか、、、、《陽明学》を実践していたら親父と同じ生き方をしていました。大人になって「哲学」というモノに触れて、、、『宗教と大して変わらんがな。』と思いました。哲学と一口に言っても、いろいろなモノがあるのですよね。哲学の種類というかタイプというか。自分の好きなものを選べばいいようなものですが、、、哲学も人間地上主義が大半を占めていたのですよね。私は幼少期から人間地上主義が大嫌いでしたから、『哲学も私には合わんがなぁ。』と思っていたのですが、、、、デモクリトス的哲学も【哲学】の内なんですよね。私の大好きなヒパチアもデモクリトス的哲学に属してたのですよね。ヒパチアは古代ギリシャの哲学者で科学者でしたが迷信を全否定して神をも否定していました。神を信じるのが当たり前の時代に、迷信が真実であるかのように罷り通っていた時代に、『迷信を真実であるかのように教える事は、とても恐ろしい事です』という言葉を残した古代ギリシャの女性でした。でもね、、、、、美人だったヒパチアに懸想した神に仕える男がヒパチアにモーションを掛けるのだけれど、、、無視され続けて、、、その事に怒りを覚えた男は、、、ヒパチアが馬車で出勤する途中を狙い襲撃して惨殺してしまったのでした。如何なる脅しにも屈することなく己の信念を最後まで貫いたヒパチアがカッコいい❗❗ と三才か、四才の頃の私は思いました。なので幼稚園に行くようになると周りから浮いていました。「七夕さん」は、ただの物語。笹に願い事を書いた短冊を結んだだけでは願いなんか叶わない。「サンタクロース」そんなものは居らん。小父さんが赤い服を着て、白いヒゲを付けて、それらしく取り繕っているだけ。という具合に大人の理屈を幼稚園に持ち込んでいた私は、、、『子どもの夢を壊す反乱分子』という目で見られて、幼稚園の行事の時は、いつも他の園児から離れた場所で行事を見ていました。お遊戯の時も私は、いつも見学者でした。発表会の時だけ、その他大勢に混じって、それらしくやっていました。白けた顔をして。幼少期の私は迷信に満ち溢れた世界で苦痛にさいなまれておりました。