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カテゴリ:夜会
私がヴェネチアに恋焦がれたのは、1971年に上映され、世界的なヒット映画となった「ヴェニスに死す MORTE A VENEZIA」を観たことが、直接の原因でした。 勿論それまでも、世界最古の国際映画祭である「ヴェネチア国際映画祭」で、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」がグランプリを獲得したり、レガッタも有名でしたから関心は有りましたが、「ヴェニスに死す」でヤラレタって感じで衝撃を受けました。 ただ私がヤラレたのは、美少年として一世を風靡した「ビョルン・アンドレセン」の美しさでもなく、マーラーのアダージェット交響曲(第5番 第4楽章)でもなく、主演のダーク・ボガードの奥深い演技とヴェニスの風景、特にリド島に心を奪われました。 当時の世界の映画界は、ビョルン・アンドレセンの話題で持ちきりでしたが、この15歳のスェーデン人は、監督であるイタリア映画3大巨匠の一人であるビスコンティが、ヨーロッパ中を駆け回って探し出しただけあって、確かに美形なのですが、どうも私の中ではしっくり来ませんでした。 きっと。彼の容貌と雰囲気があまりに中性的であり過ぎることと、その印象が「美少年」と云うよりも「美青年」に近いことが、そう思わせたのだと思います。 やはりアングロサクソンは、日本人の15歳よりもはるかに大人に見えてしまいますので、私はそう感じてしまいましたが、欧米人の場合は、彼を「美少年」と呼んでもそれほど違和感がなかったのかも知れません。 私は、アイスランドのダブリン近郊で、美少年と美少女の集団に出会いましたが、彼らは全員、9歳から13歳でしたから、どうしてもこの線は個人的には譲れません。 そして、ビョルン・アンドレセン自身も、この作品と出合ったのが15歳だったことは、結果的に不幸なことだったのかも知れません。 彼が、例えば12歳くらいだったら、所詮子役と見做されて、その後の俳優活動に悪影響が少なかった筈ですが、彼自身が語っているとおり、「タージオ役」のイメージから脱するために、かなりの苦悩を味わったようで、彼はその後、俳優としては全くと云って良いほど大成しませんでした。 また、ある意味、当たり前と云えば当たり前ですが、彼は現在、普通のオジさんになっていると云う話をどこかで聞いたことがありまして、同じ男性として残念なような、でもホッとするような不思議な気持ちに駆られます。 そう云えば、「ガラスの部屋」で主演したレイモンド・ラブロックなんかも、今頃はどうなっているのでしょうか? 書き出しから、ちょっと変調になってしまいましたが、次回からは、私が敬愛するビスコンティ監督とダーク・ボガードを少し語ってみたいと思います。 ↑ 緊急企画「仮面夜会」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 26, 2005 10:59:20 PM
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