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カテゴリ:夜会
男女や年齢、国籍や人種に関して、私は偏見がほとんどない方だと思う。 実際、私の友人は極めて多彩だし、色々な方々とお付き合いする方が、自分自身にとっても刺激になるし、またそちらの方が楽しいと感じる。 私の場合、特に友人の年齢層が実に幅広い。 仕事やロータリークラブを通じて、年配の方に知り合いが多いのは当然としても、趣味であるオンラインゲームやトレーディングカードゲームでの対戦相手は少年であることが多く、小学生や中学生にも友人が多くいる。 そして彼らは、実に手強い好敵手や頼りになる仲間であって、ある時は有用な情報を私にもたらしてくれる物知りな人物にもなってくれる。 従って、昨日述べた「ベニスに死す」の主人公である、世界的な老作曲家、グスタフ・アシェンバッハのような少年愛は、正直、全くもって私には理解出来ないし、理解したいとも思わない。 勿論、この映画の場合は、そう云う趣味を持っていたら、アシェンバッハの気持ちが分かるかと云えば必ずしもそうではない。 あくまで、アシェンバッハの孤高な芸術家としての性格が前提にあって初めて映画的価値が生まれるのであって、そうでなければ単なる変態と同義になってしまうと思う。 何れにしても私には、この映画のテーマが少年愛であるとはどうしても思えない。 主人公が出会った人物が、絶世の美少女であったとしても、この映画の作品的価値が全く損なわれないからである。 未だこの映画をご覧になっていない方のために、簡単にストーリーを述べると、主人公アシェンバッハは、静養のため訪れたヴェネチアで絶世の美少年「タージオ」に出合う。 そして、不吉な死の予兆に迫られながらも、この美少年に対し、ストーカー的な徹底したプラトニックラブを追求し、やがて死を迎えると云った筋立てである。 主役のダーク・ボガードが、人間嫌いなうえに鼻持ちならない貴族趣味と癇癪癖を持つアシェンバッハを見事に演じきっており、1911年のヴェネチアを背景に究極の退廃と耽美が輝きを放つ作品である。 ところで、アシェンバッハの美少年タージオへの関わり方は、今にして思えば「少年愛」と呼ぶより「ショタ(ショウタロウコンプレックス:イラストに描かれたり物語に登場したりした、空想上、創作上の架空の少年に対する愛情)」に近いと感じる。 映画の設定上は、タージオは確かに実在の少年であるから、厳密にはショタではないが、その美少年を「美」と云う切り口で切り取って愛すると云う方法は、ショタ的だと思う。 トーマス・マンが書いた原作は、彼のの実体験に基づいたものだと云われており、彼もまたショタ的に美少年を愛したのだろうか? 少年愛をテーマにした文学は、最近の「ボーイズラブ」を持ち出すまでもなく数多く存在するし、近年の日本作家におけるこの分野の第一人者は「稲垣 足穂」であろう。 彼は、『少年愛の美学』で第一回の日本文学大賞受賞(1968年)にしており、題名からも分かるとおり、気合の入り方で他の作家を圧倒している。 また、ショタではなくバリバリの実践派としては、ネロとスポルス、ジェイムズとバッキンガム、上杉謙信と直江兼続等々、歴史上の有名人の中にも、洋の東西を問わず多く見受けられる。 こい云った有名人の場合は、寵愛を受ける少年の方も名誉であると感じるのかもしれないが、基本的には少年愛の対象とされる少年こそ、いい迷惑だと思ってしまうのは、私が保守的に過ぎるためだろうか? ↑ 緊急企画「仮面夜会」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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