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過去ブログが閲覧されることもあるようで、その閲覧記録から自分の15年前にタイムスリップしてしまった。
娘の小学校入学式である。 すっかり忘れていたけど、娘は体調不良だった。入学式の前から学童保育所に通っていた。保育園は3月末に終わり、翌日からは学童保育に切り替わる。なんと私は転勤になっていて、親子そろって不安なスタートをしていたのだ。 娘は「学校なんて行きたくない。保育園にもう一年通いたいから保育園に言って」と切ないお願いを私にしていた。3月末に6才になったばかりの娘に、知っている友達が一人もいない小学校に通うのは大きなプレッシャーだったのだ。私は延長保育を受けさせるため、学区内から少し離れた保育園に娘を通わせていたのだ。 プレッシャーから頻尿になり、挙げ句の果てに発熱までして疲れた状態で入学式を迎えた娘。転勤したばかりで残業を断れなかった私。 実母に学童の迎えを頼み、残業して帰ってくるとここぞとばかりに嫌みと喧嘩を吹っ掛けてくる実母。周りは実母がいるのならと理解してくれなかった。毎日実母と喧嘩。毎日残業。実母は私に仕事をやめさせたくないものの、残業には大反対。残業できないのなら正規社員としてあの時期は乗り切れなかった。そういう時代だった。元夫も実母ならいいだろうと呑気だった。 今の私なら昔の私にこうアドバイスする。 お金かけてベビーシッターに頼みなさいと。毎日喧嘩していたらメンタルも体も持たない。 元夫との喧嘩も多かった。 帰宅しても私は暗かった。それはさくらも不安になるに決まっている。 実母に頼んでいるというから職場も私に残業をさせた。ベビーシッターだと言ったらさせられなかったのかもしれない。いや、とにかく私の気持ちがもっと安定したはずだ。見てもらっている負い目から何も言い返せない私に実母は言いたい放題、怒鳴りながら帰っていった。 休日には元夫ももともとキレやすい人なので、怒鳴られたり手をあげられそうになったりして、ここでも耐えるしかなかった。 今の私なら昔の私に言う。 「それはDVなんだから別れてもいいんだよ」と。 当時はDVなんて言葉はなかった。毒母という言葉もなかった。 実母は私が正規社員なのが自慢で、見栄のために私に仕事を続けさせたがっていたが協力すると腹が立って暴言をはく。 頼ってはいけなかったのだ。私が潰れそうになったら娘にも暗く接するしかなく、母親の私の不安定は娘にすべて伝染した。 親に頼らず、元夫とももっと早く別れていたら私はもっと楽になっていたに違いない。どうせ仕事をやめられないのは同じことだった。 実母に頼んだのは最初の一週間だけだったが、限界を感じた。実母は孫だけは可愛いから仕方なく通って来たが、娘の私のことは嫌いだから本当に嫌々通ってきていたのだ。 残業も4月中旬からは減った。実母に頼むこともなくなり、娘は学校は好きではなかったものの、学童保育は好きで通っていた。 あの頃の私!かなり哀れだったな。 もちろん娘も可哀想だった。 世間ではこれを小一の壁という。 よくぞ、生き残ってきた。 若い子育て世代にはこんな思いをさせてはいけない。 今は育児時短制度も普及してきて、働く母親は早く帰らせようという雰囲気に変わりつつある。 苦労した人間として、後輩たちにはこんな思いをさせないようにと頑張るのみ。 タイムマシンであの大変な時代にスリップしたら今がいかに幸せか重い知らされる。 このまま無事に平和に生きたい。 娘は働きだしたら今の彼氏と一緒に暮らしたいらしい。反対もできず、聞き流していたが彼氏は一応良識があるようで 「お互い親元を出て一緒に暮らしたいからお金を貯めようね」ということになって保留となっている。どうせなら結婚してくれたらいいのだけど、今はそういう時代じゃないんだって。結婚なら喜べると思ってしまう私は古いのだろうか。安心したいのといつか孫でも生まれたらという期待が「結婚」には持てるが、同棲だとなあ。どっち道、仕事のペースをしっかり作ってから考えてもらいたいものだ。 彼氏は人柄がいいのでその点は信頼しているが、転職を考えているらしく、経済的には当面安定しそうにない。だからと言って反対するつもりはない。 これがやんごとなきご身分だとそうはいかないだろうけれど、私はただの労働者階級なので保守的になるつもりは更々ないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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