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以下、下書きです
絵を描くこと 子ども時代、本を読むことが好きだったが漫画を読むことも同じくらい好きだった。お小遣いを貯めて少女漫画を買ったり、兄の買っていた少年漫画を読みふけったりした。読んでいれば描きたくなるもので、わら半紙を買ってきて、漫画と称した絵を熱心に描いた。 しかし、親の反応が悪かった。 母は 「下手くそな絵を描くのはみっともない」 と不機嫌になるし、優しい父まで苦笑しながら 「絵は上手じゃないからやめた方がいいんじゃないかな」 という。学校の図工の評価も良くなかった。 小学校二年生の時の担任にも言われた。 「あなた、これ、何を描いているの?」 「草の・・・つもり」 不愉快そうな担任の顔。両親も下手だと言っている。それでも描こうとする私に、母からとうとう絵を描くことは禁止されてしまった。絵の上手い兄だけが描いて良いのだった。 筆も心も折れて絵を描くことは諦めた。 大人になってから、父がふと思い出したように昔の話をした。 私の祖父は帯の絵をデザインすることを仕事にしていて、かなり売れたらしく、父は戦前の幼少時代を裕福に暮らしていた。 祖父は父を跡継ぎにしたいと考えたのだろう。ふだんは優しいが、絵を描くことには厳しかった。 「下手な絵を描こうものなら殴られるんだから、筆を持つ手が震えてね。絵を描くことは怖いことだった。大嫌いになったよ」 笑いながら話す父はだからと言って自分の父親を恨んでいるわけではないようだった。ただ、不器用な絵を描く私を見て幼い時を思い出し、いい気持がしなかったのだろう。だから、私は絵を描くことを禁止されたのか。謎が解けた。 私にも子どもが生まれ、私なりに実験してみることにした。どんなに下手な絵を描いても上手いとほめ続けたらどうなるだろうか。これは意外に難しかった。具体的にほめ続けるというのは豊富な語彙と言い回しが必要になる。 娘は他の女の子たちのようにお姫様を描くということがなく、どちらかと言えばやはり不器用で粗削りだった。保育園で飾られている娘の絵を見ると乱暴な感じがして絶句することもあった。しかし、これは実験である。 「うまいね、特に鳥がいい。飛んでいるようだもの」 必死に具体性をつける。それ以来、娘が鳥ばかり描くのには参ったが、私も意地になってその鳥を褒め続けた。 小学校に上がると、親だけ褒めても駄目な気がした。友達に 「お前の絵、下手くそ」 と言われたこともあったようだ。担任の先生は昔と違うからさすがに下手だとは言わないのだが、娘は評価を感じ取り、作文にこう書いた。 「描いた絵を先生のところに持っていきました。先生は上手ねと言いましたが私はがっかりしました。本当に上手な絵は貼りだされるからです。私の絵は先生の机の上に置かれました」 これはどうやって励ませばいいのだろう。 「ママはあなたの絵を素敵だと思うよ」 としか言えなかった。実験は失敗だろうか。 娘は二年生になった。図工は専科の先生が教えるようになった。 写生会で低学年は消防車を間近で見て描いた。娘の絵が入賞したと聞いて驚いた。 文化会館に飾られるというから見に行った。 その消防車は画面からはみ出しそうなほど大きく赤かった。大きな消防車に感動している幼い気持ちが伝わってきた。緻密さや器用さには欠けるが、心の動きが出ている。子どもの絵は心の表現なのだ。だからこれでいい。 すっかり気を良くした娘は大きくなったら美大に入って漫画家になりたいと言うようになった。私の実験は成功した。私の子でも絵が描ける。 早逝したので会ったことのない祖父、ひ孫が絵を描くことが得意と知ったら喜んでくれるだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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