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緊急事態宣言でエッセイサークルも今月は中止。せっかく書いたのでこちらにアップさせてください。
皮肉の精神 小学校三年生の時、兄と二人で母方の祖父母宅へ泊まりに行った。滋賀県である。 祖父母は関西弁を話す。東京でも両親の関西弁をききなれていたので違和感はなかった。しかし、母の話す関西弁とは微妙に違う。もっと柔らかい。 「けったいやなあ」 と大らかに笑う祖母の言い方はゆっくりで品があった。何が違うのだろうか。 祖父に彦根城へ連れて行ってもらったのをうっすら覚えている。お城の階段がたくさんあったこととお土産コーナーで好きなものを買ってくれるというシーンが蘇る。 私はひょうたんを買ってもらった。昔話によく出てくるひょうたん。水やお酒を入れていたという話に憧れていた。日本昔話が再現されているようでわくわくした。 祖父母宅に帰ってからも嬉しくて、はしゃぎ続けた。 「私もこれにいつかお酒を入れるんだ」 祖父はこらえきれないといった様子で笑い出した。 「それは紙やで。にせものや。そんなもん、入れたらすぐに腐るがな。あほやなあ」 紙?偽物?本物だと信じていたのに。がっかりする私を見て祖父は笑い続けた。 祖父が皮肉屋さんというのは聞いていたが、こういうことか。言葉の意味を幼いながらに理解しようとした。 翌年は母の兄、伯父の住む大阪に行った。 大阪は滋賀県の琵琶湖あたりとは違ってたいそう賑やかだった。大阪万博の年である。 大阪弁は滋賀県の関西弁と似ているが響きが違う。勢いが違う。 「なにやってんねん!」 怒鳴るような物言いに驚いたものの、それは聞き慣れた響きでもあった。母は疎開して滋賀県に行ったが、もともとは大阪育ちだったのである。勢いのある母の物言いは大阪由来だったようだ。迫力に圧倒され、少々苦手意識を持った。 一九八十年代に漫才ブームが起きた。強烈な関西弁のギャグは刺激的で、受けが良かった。子どもの時には苦手だと思っていた大阪弁は、ウイットに富んでいて親しみやすい。もともと、人に笑ってもらうのが好きな人たちで、大げさに言ったり皮肉を利かせたりするのだとわかってきた。 母も人を笑わせるのが好きだった。多分祖父もそうだったのではないか。皮肉もほどほどにしないと人を傷付けるので、さじ加減が難しいところだ。自分だけ笑っていてはだめなのだ。 祖父は皮肉を言いすぎて周囲とうまくいかなかったようだ。 孫としては祖父のいいところを引き継いでいってあげたい気がする。 皮肉だって使い道がある。数年前に川柳に興味を持ったのは皮肉の精神をを生かした文学は面白いし、私の中の祖父を生かせるのではないかと思ったからだ。つまり、私もそうした面があるということだが。 これも定年退職後の楽しみとして候補に挙げておこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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