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明るいユーモラスなエッセイが好きだ。
中学生の時に学級文庫に置いてあった遠藤周作のユーモアエッセイを手にした。退屈な理科の授業中、教科書に挟んで読んだら笑いをこらえるのが辛い。 ふと隣の席を見ると穏やかな男子が私を見て微笑んでいる。学級文庫は生徒の持ち寄りで、私が読んでいたのは彼の持ってきた本だったのだ。私が楽しそうに授業中に読んでいたので嬉しかったらしい。 「いいことやってるね!」 褒めてくれた。隣席のお墨付きをもらったのだから安心だ。授業中に読むのは何ともスリリングで楽しい。 遠藤周作は作家として二つの顔を持っていて、ユーモラスに書く時とシリアスに書く時で使い分ける。どちらも好きだ。 疲れているときは笑えるようなものを読みたくなる。週末に通うインターネットカフェでは週刊誌読み放題なので、いろいろな作家のエッセイを読むことができる。週刊誌というとゴシップネタのように思われがちだが、短いコラムがたくさんあって現代作家の今の声が時事問題に絡めて書いてある。読みやすくて楽しい。 お気に入りは林真理子、土屋賢二でクスクス笑いたくなる。 こうして助走をつけてから私も書き出すのだが、どうしてこんなに暗く、堅苦しくなるのだろう。楽しいものを書きたいのだが、手が編み出す言葉は暗く重い。 脳にインプットされた言葉が手を伝わって出力される。いくらユーモアエッセイを読んでも、上辺を通り過ぎているだけで脳の奥底から出てくる言葉は厳しい。 書くのはまだいいが、話し言葉が否定的になってくるのは最悪だ。それを愚痴、悪口、文句、悪態、クレームと言うのだろう。抑えよう。抑えなくては。でもどうやら還暦が近づく今、私の脳内にはよろしくない言葉がたくさんインプットされていて、出力を待っているのだ。これこそ詰め込み教育の弊害だ。授業は家庭内不和、喧嘩、いじめ、皮肉など、実習も兼ねてたくさんの講義を受けて生きてきた。 『育ちがいい人が知っていること』 というエッセイがベストセラーになったので、付け焼刃のように読んでなんとかいいインプットをしようとあがいている。 でも本心では 『育ちが悪い人が知っていること』 というエッセイを私に書かせたらどうだろう。面白いのではないか。どうしたら心が曲がるか、自己肯定感を低く保つ方法・・・誰も読みたがらないだろう。 コロナ禍が落ち着いたら一人カラオケにデビューしよう。マイクに向かって悪態をつきまくり、叫び、出力しきりたい。え?悪い言葉がさらに脳裏に刻まれる? やれやれ。いつ出力が始まるかわからない時限爆弾を脳内に抱えながら、土屋先生の文庫本を読んで寝るとしよう。きっといつか世の中が『悪態のすすめ』という本を必要とするかもしれないので、その日に備え、読書でインプットを続けていこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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