|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ご先祖様崇拝の話は苦手だった。日本独特の家制度の象徴に思えるからだ。
立派なご先祖様たちで結構ですこと、と冷めた思いだった。 ここ数年で少し考えが変わった。 動物が好きだから、猿に興味があった。猿を見てご先祖様を思うなんて、ご先祖様は怒るかも知れないけれど。 日本人にコロナの重傷者が少ないのはホモサピエンスがネアンデルタール人と交配したから、このネアンデルタール人の遺伝子が多少影響しているのかもしれないと聞くと、不思議だ。 元々は霊長類が枝分かれして、猿やゴリラ、猿人と別々に進化した。そして20種類以上のヒトに分かれ、絶滅していった。ネアンデルタール人とホモサピエンス、デニソワ人に分かれていったが、残ったのが私たちホモサピエンスなのである。何ともまあ、神秘的だ。私たちは生き残るに適した遺伝子を持った者たちなのだ。 ホモサピエンスは協力する共感性の高い遺伝子を引き継いできた。そうでなければ生き残れなかった。 協調性の高いホモサピエンス。結婚して協力し合える遺伝子が強ければ強いほど、この子孫は栄えた。しかし、協調しにくい人もやはり、遺伝子を残したい。なんとか食いついて、攻撃的あるいは協調性の低い遺伝子を持つ者もどさくさに紛れて遺伝子を残そうとする。だけどそういうヒトは結婚に失敗するから結局は子孫繁栄に至らない。 今は昔と違って不倫にも手厳しい風潮だ。ということは浮気性の遺伝子もやがて淘汰されるか、少数派になっていくのだろう。 20年後の日本はどうなっていくのか。昔なら結婚は、家と家の問題だったからモラハラ気質の男性でも、それなりに家柄が合うと判断されれば見合いをして結婚できた。 女性は堪え忍ぶのが美徳とされた。モラハラはたくさんあったのだろう。 つまりモラハラ気質はたくさん遺伝子として存在している。 そのなかで穏やかで優しい気質が残る。結婚難というけれど、方向としてはこれでいいのだろう。 私の遺伝子のなかにも穏やかで優しいものはあると思う。悪い遺伝子ももちろんある。 両親を含め、血縁者のことを思うと感謝どころではなかった。弱いものは叩かれ、苛められ、淘汰される。 だが私はしぶとく生き残っている。 母と私は持っている気質が全然違うが、私と娘も全然違う。 娘の気質、持っている力は元夫譲りなところが多い。私に似ているところは殆どない。 娘が赤ちゃんだった頃からそれは感じていた。全く違う種族を生んだという感覚。でもその赤ん坊は私に全てを頼り、信頼して生きていた。途方に暮れることは多かったが、私にとってかえがえのない存在だった。 父を亡くしたとき、私の存在を心から喜んでくれる人はもうこの世にいないのだと思った。兄も。 でも最近になって、娘が私が幸せかどうか気にしてくれていることに気付いた。父や兄は逝ってしまったけれど、私を思いやってくれるヒトがこの世に存在しているのか。つまり、先祖が残したものが現世にあるのだ。 コロナ禍なだけに、ふだんぶっきらぼうな娘の優しさが心に沁みる。 お父さん、お兄ちゃん、私はまだ支えてくれるヒトがいるようです。こんなことまで遺伝子だといったら学者に笑われるだろうけど、私は遺伝子だと思いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|