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我輩はドラ猫である

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桃太郎715

桃太郎715

March 29, 2021
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26日にさくらは23才のお誕生日を迎えました。
さくらは満一歳から保育園に入りました。
そして、お誕生日は年度末。いつもいつも残業でした。ケーキ屋さんが開いていたことはなく、コンビニのケーキを買うのがやっとでした。毎年この時期は疲れはてていました…母の私が。

今年はさくらは有休を取り、彼氏にお祝いしてもらったようです。

プレゼントだけでも買ってあげたかったけれど「お金がいい」と夢のない返事。

のし袋に「大好きなさくら お誕生日おめでとう」と金一封添えて…

お誕生日はいつもいつもドタバタで23年間過ぎてしまったけれど

でも生まれた日の感動を忘れない。少し早く生まれたさくらは赤ちゃんというよりまだ胎児なのに生まれちゃったみたいな感じで、ろくに泣かず飲まず、もう少しお腹で育ててあげられたら良かったのだと思います。私が弱かったから…帝王切開で早くに出産となったのでした。

胎児みたいであまり泣かない赤ちゃんでしたが、嬉しくて嬉しくてずっと抱っこしていました。無表情で機嫌も悪くないのに、子守唄なんか歌っちゃって…

だきぐせはすぐにつきました。泣かない赤ちゃんのはずが下に下ろすと泣くようになってしまい、ワンオペ状態なのに参りました。

首も座らないうちからおんぶしてましたね。今思うと危ない育児してたなあ。

まだ零歳なのに絵本の読み聞かせとかしちゃって、さくらはポカンとして聞いていましたっけ。

育児休業中は夢のようでした。ベビーカーに乗せて毎日児童館にかよって、広いホールでハイハイさせて…「いつ家事をやってるの?」と聞かれたりしましたが、「サボってるの」と笑いながら答えていました。

公園にいっても零歳児じゃまだあそべない。だからさくらを抱っこしてブランコに乗って夕日を眺めていました。毎日毎日ブランコに乗っていました。一歳過ぎてからは保育園だったからそんなことはできなくなりました。

それでさくらがこのブランコと夕日を覚えてるそうなので、零歳児でも強烈な印象は記憶にのこるのですね。

私は一人ぼっちの育児に少し疲れていたと思います。だけど夕方になるとブランコに乗りたくなり、ボーッと揺られていたのでした。

私も赤ちゃん時代に縁側に即席で吊るされたブランコに乗っていた記憶があるのです。ただ、揺られている…言葉はないけど胎内みたいで安心できたのかもしれません。だから、ワンオペ育児で不安になるとブランコに乗っていたのかな。

さくらはよく笑う赤ちゃんで、本当に可愛かったです。朝、目が覚めるともう笑っていました。いつもとても楽しそうでした。

まあ、動き出したら大変でしたが。ちょっと多動傾向のある子なのでじっとしていることができない。言葉の出始めは女の子にしてはゆっくりめでしたね。

だけど私はめげずに絵本をたくさん読み聞かせ、歌も歌って、さくらはとうとうそのペースにはまって、よくしゃべる子になりました。多動だけど絵本の読み聞かせは集中してよく聞いていたかな。

じっとしているのは苦手だから学校ではよく怒られていました。授業の邪魔になるんです。でもさくらは聞いてないように見えても話は聞いているのでやることはさっさかやっていました。余った時間でいたずらばかり、本当に学童期は参りました。でも学童期も家では甘えん坊のベタベタでやっぱり可愛かった。
 中学時代が荒れて一番大変なときでした。私は受容を学ばなければなりませんでした。
高校ではだいぶ落ち着いたけれど母の私には嫌悪感を持っていました。若くもなくお洒落でもなく、ぼさっとしているのが自分の母親だということが恥ずかしかったそうです。

といっても私はその時既に大黒柱。髪の毛振り乱してでも仕事と家事をしなくてはならず、お洒落する余裕はありませんでした。自分でも女を捨てているなと思っていたし、開き直っていました。娘が私を母として恥ずかしいと思うのも無理はないと諦めの境地でした。
 そんな娘でしたがだんだんに変わって来ました。大学には奨学金で通う学友がたくさんいました。そこで初めてさくらは自分は恵まれていると気付いたようでした。

「ママ一人で働いてすべてをさくらに注いでくれてありがとう」といってくれるようになりました。

今はさくらが私の幸せを願ってくれています。もちろん、足手まといになるような生き方はしません。

でも家族が自分の幸せを願ってくれてるなんて、夢の続きを見ているようです。





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Last updated  March 29, 2021 10:14:38 PM
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