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還暦誕生日直前に書いていたエッセイ。まだ推敲が終わってないけれど、人生の節目なので載せておこう。
還暦と仕事 干支が回ってきた。四十八歳の時、次は還暦だと同級生と一緒に笑っていた。遠い先のことだと思っていたから。 職場でも最年長となってしまった。後輩たちは 「六十歳まで働くといわれてもピンと来ないですね」 「それまで生きているのかなと思っちゃう」 などと言うので、返事に困る。若い人たちには六十歳になっても働くというのはイメージしがたいのだろう。かつての私のように。 父が還暦の頃はまだまだ元気で、仕事もして夜ごとの宴会、飲み会が続いていた。 母も元気に見えたが私が言い返すたびに 「年寄りに何を言うのっ!」 と大変元気に怒っていた。年寄りとは思えない迫力にそれ以上言い返せなかった。元気だったが四十代で仕事はやめていた。 女性は五十歳くらいで体力も能力も限界に来るのだろうから、母のように仕事はその時期にやめるのがいいのかなと思っていた。 しかし、能力や体力がどうあろうと、私は五十歳を過ぎても働き続けた。そして、いよいよ還暦なのである。同級生で私のように働き続けた女性は少ない。 「えらいね」 と言われるが、これまた返事に困る。 えらくはない。やめるという選択ができなかっただけ。 娘の友達母は専業主婦が多いようだ。 「五十歳過ぎて働くのは絶対にいや。だから経済的に安定した人を結婚相手に選ぶ」 と娘の友達は言う。それはそれで賢明だと思う。ところが娘はこう言い返したそうだ。 「私のママは五十歳過ぎても働いていて、可哀そうになんか見えない。ママにできるんだから私も五十歳過ぎて働けると思うし、働くつもり」 これは責任重大だ。 クロワッサン症候群という本が売れたのは三十年ほど前だ。女性の自立を多くの雑誌が取り上げてきたが、結婚や出産適齢期を過ぎた女性が心理的葛藤を起こすというノンフィクションだった。 自立している女性は一人で何でもこなし、かっこいいと思っていた。優等生のイメージだ。でも自分を振り返れば間抜けなことばかりして、自立どころかいつも人に助けてもらっている。だが私は聞かれると勝手に口が答えた。 「結婚しても子供を生んでも働き続けたいの」 答えていたのは覚えているが、なぜそのように考えていたのだろう。どこで影響を受けてそのような考えに至ったのか。 読書の影響もあるかもしれない。 作家の曽野綾子さんがエッセイで主婦業と仕事をどう両立させるか聞かれるとこう答えていた。 「すべていい加減にやっています」 もちろん、いい加減のレベルが普通よりずっと高いのは若い私でもわかった。 私なりのいい加減でいいのかもしれない。漠然とそう思っていたのかもしれない。いや、年をとればそれなりにできるようになるだろうと楽観的だったのかもしれない。できないものはできないと諦めたのはいつからだろう。 二十歳で働き始めた。四十年は長かった。自信をなくした若い日々。育児と両立できなくて泣いた日々。仕事は部活と似ている。価値観や性格が違っても同じ目標に向かって支え合う。連帯感に支えられてきた。マラソンをビリに近いところで走り続けてやっと見えてきたゴール。テープを切ったら何が見えるのだろう。その時が私にとって本当の還暦だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 6, 2021 09:30:14 PM
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