私たちの泳ぎ方
小学生時代の同級生が北海道へ移住するという。
ささやかながら送別会を開くことにした。小学生時代といえば、五十年以上も昔なので行方知れずになっている人も多い。それでも何とか五人集まることができた。
話はどうしても昔話になってしまう。何しろ、全員還暦を過ぎて社会からはある程度一線を引いているのだから、未来にわくわくするという年齢でもないせいだろうか。
林間学校で、はしゃぎすぎて、ベニヤの壁に穴を開けてしまった話は申し訳ないと思いながらも、思い出すとおかしく、笑い転げる。男女共に壁を蹴っていたのだが、怒られたのは何故か男子のみで彼らは正座させられていた。小学生くらいだとどうしても精神年齢が女子より幼い彼らは言い訳もせず、当時は仕方なく正座していた。それを五十年経っても恨みがましく話す。大笑いしているときは、年恰好が六十代になっても中身は同じで、ギャップを感じない。男性は人が良く、女性は明るく強い。変わらない。あの頃からそうだった。
ドキっとする話もあった。小学校時代は仲良く一緒に遊んでいた男の子同士だったのに、中学に入った途端いじめが始まったという。毎日掃除用具箱に閉じ込められ、ついこの間まで同じ小学校で遊んでいたのに、と思うと悲しくてたまらなかったそうだ。三ヵ月経つとターゲットが他に移ったのでいじめはやんだそうだが、男子のいじめは言葉よりも暴力を伴うことが多いので危険である。体格もよく、スポーツもできる彼がなぜ、標的にされたのかまったくもってわからない。いじめた張本人は運動部で大活躍しており、そんなことをしていたとはクラスが違ったのでまったくわからなかった。五十年経っても心の傷になっているようで、出席者にいじめた彼の名前がないことを確認してから出席の返事をしているそうだ。
小学校高学年の頃は、教師が厳しすぎたせいもあり、いじめはほとんど起きなかった。そんなことがばれたら連帯責任で全員ビンタという軍隊式教育だったからだ。いじめは起きなかったが言いたいことを言えない子どもはいたかもしれない。それが中学生になって表面化したのかもしれないと思うと心が痛む。
重松清氏は小学生をテーマに小説を書くことが多いので読み返すことにした。小学生の心理を思い出したかったからだ。
『めだか、太平洋へ往け!』
作品中の教師の言葉に、小学生時代が人生で一番幸せというのは悲しい、自分で人生を切り開ける時代を充実させ、そのときが一番幸せであってほしいという言葉があり、はっとさせられた。
私は自分で人生をなんとか切り開いてきたけれど、幸せだと思っていただろうか。太平洋どころか、泥のなかに埋まってもがいていたのではないだろうか。いじめも泥なのだろう。みんな這い上がってきた。いじめた側もいじめられた側も思春期は発達途上だ。そうやって大人になり、今がある。大人になってからも試練は続くのであるが。
私たちはそれぞれの泳ぎ方で今も一生懸命泳いでいる。時々、同窓会という休憩地で泥を払うのも悪くない。