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テーマ:日々のあれこれ(9)
カテゴリ:読書
やっぱり風邪をひいていたみたいだ。倦怠感はそれ故か。熱はないが、胃腸の調子が今一つ。まあ、仕事を変わり、また一年生をしているから緊張もあったのだろうか。寝れば治った若い頃が懐かしい。 ところで、昨夜「光る君へ」を観ようとしたら、土曜日だったのでやっていなかった。最近土日出勤が増え、その分平日休みが多くなっているため、曜日感覚が狂っている。つまり、昨日は日曜日だと思い込んだのだ。 テレビで気が付くとは…ボケるにはまだ早い。 さて、無事に本日、「光る君へ」を見終わった。大河ドラマを毎週観るなんて、人生初である。私は戦国武将ものが苦手なので避けていた。 平安時代のことを昨日も書いた。貴族の暮らしは様々な日記で記録があるが、9割以上を占めていた庶民の暮らしがやはり気になる。 たまたま今日は図鑑を見る機会が少しだけあった。 平安時代、厳かな貴族の宮殿…庶民の家の図もあった。 大変な落差だ。それは高床式の家、というより小屋なのだ。わらぶき屋根の小屋。南国ならばあれでも寒くはなかろう。しかし、日本は今よりも寒かっただろう。農民たちはただただ、働いて税として米を納め、粗末な寒い小屋に住んでいた。 あれでは疫病が流行ったらひとたまりもなかっただろう。多産多子になるしかなかったわけだ。教育どころか、食うや食わずで働き通し、子供は労働力でしかなかっただろう。生き長らえたなら、親の老後を見るため、そのために存在した。 貴族は家制度を守るため、多くの庶民は奴隷のようなものだったのだ。 縄文時代はある程度平等だった。狩猟民族だったので、獲物は平等に分かち合わなければ、協力して狩りなどできない。 農耕が始まり、米を備蓄できるようになるとだんだんに身分制度ができてくる。 これは日本だけに限ったことではない。 農耕社会が始まるとどこの国もそうなっていったのだ。 ごくごく一部の貴族と殆どの農民。農民の中でも地主と小作では大違い。 貴族は貴族で家制度を守るため、女は子供を生むための道具。 庶民にとっては子供は労働力。 文字としての記録はないとしても、遺跡が発掘されたり、壁面として残っていたりするので今はだいぶ解析が進んでいる。 日本史はそれこそ、戦いの記録なので…世界史もそうだけど、私には刀を振り回す戦国時代はむごたらしくてあまり勉強したくない分野だった。人殺しをたくさんした武士が戦国武将として尊敬されているのも、残酷すぎてあまり見たくない一面だった。 しかし、私たちは、歴史から学んでいかなくてはいけないのだろう。綺麗事ばかり言っても、今現在も世界は戦争が起きているのだから。 さっき、長塚節の「土」を読み始めたが、これは難しい上にかなり暗い気持ちになる。明治時代の話なのだが、小作農民の悲哀が描かれていて、スラスラとは読めない。今度アマゾンプライムかYouTubeで映画の方を見てみるか。 農民の苦しい生活を書いた小説というのは少ない。だいたい、小説家というのは裕福な家庭で教育をしっかり受けた人に多いということに今更ながらに気付く。夏目漱石だってもともとは武士の家系なのだ。私の好きな遠藤周作だってそうなのである。 プロレタリア文学を書いた人はアカ狩りにあって処刑されている。 格差があるとはいっても、昔よりは自由な発言ができる時代だ。 先祖が農家だった私に文学を学ぶ資格なんてあるのだろうかという気さえする。 でも時代は進化した。 格差はあれど、一応義務教育は全員受けられる。 こんな年になっても学びたいと思えば学べる。 カルチャーセンターに行けなくても、私たちには本がある。図書館が、ある。 私は恵まれない環境でこども時代を過ごしたが読書環境には大変恵まれていた。何しろ家中本だらけ。父は本を買ってくれたし、母は近所の年上の子達がもう読まなくなったという本をたくさんまらってきてくれた。もっとも母のねらいは私でなく、兄のためであった。 そして、兄が読まないので、私が読んでいたわねだ。 親や教師に恵まれなくても本は私の味方だった。 これからもジャンルを問わず、たくさん読んでいきたい。 本が私を呼んでいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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