寄り添うこと
大昔、受験に失敗した私はリビングで大泣きしました。
翌日から…家に帰ると、バタン!ピシン!ガシャーン!
呆気にとられました。
母は私の帰宅に気付くなり、リビングの戸を閉め、蛍光灯を消して真っ暗にし、和室にこもるのです。
つまり泣く私を拒否している、関わりたくないという強烈なメッセージでした。
共に悲しむどころか、迷惑がっていたのです。泣く気も失せて呆然としました。
その後、短大に進学しましたが、気付けば母は私が四大に進学したと知人に言い、進学先をひた隠しにしました。
私は立ち直って意欲を持って進学したのに母には隠したい名前のところらしい。
兄は高卒で働いていましたが大学へ行ったことにされていました。受験すらしていないのに。
ついでに言うと最近叔母に職務階級のことで何気なく確認されましたが、私は出世したことになっているらしかったです。私は今のままの自分の仕事に誇りを持って働いているのですが。叔母は事実を聞くとさらっと受け流していました。叔母は賢い人なので。
さてさて、受験とか落ちるとか言う言葉を聞くとあの帰宅するなり真っ暗にされたリビングを連想してしまう私です。
娘の受験結果が現段階ではよろしくないので、なんと言葉をかけようかと迷いながら帰宅しました。(こんな日でも残業せざるを得ないので遅い帰宅)
あの真っ暗なリビングを連鎖してはならない!と意気込んで帰ると…なんと娘が自分の部屋を真っ暗にして寝ているのでした…
また、真っ暗だ!
連鎖しちゃった?
途方にくれてある方にラインで相談しました。
返ってきたラインには
「気持ちに寄り添うって必ずしも側にいて温かい言葉をかけることじゃないんじゃないかな。今は一人になりたいんだから一人になりたい気持ちに寄り添ってそっとしておいてあげたら?黙って見守って、話してきたら笑顔で答えてあげたらいいんじゃないの?」
あっ
そうか。娘は一人になりたいのか。そっとしておいて欲しいのか。
泣きわめいていた私とは違うんだ。
泣けないのも心配だけどまだまだたくさん受験がある。泣く段階ではないと娘は認識しているのだ。
私は基本的に辛いときには一人でいられません。誰かに聞いてもらいたいタイプです。昔は電話魔でした。
今はメールもラインもブログもあるからひっきりなしにつぶやいています。
でも確かに今日の昼間はちょっと言葉にするのも辛かった。
ひっそり、ため息をついていたら、たまたま仕事場に同じく受験生母がいるので「ねえ」と頷かれました。
あ、このお母さんも辛いんだ。でも必死で働いている。社会人だから、子どもの受験がなんとあれ、お給料をいただいている以上笑顔で仕事をするのは当然のことです。
模試のA判定が悪いんだ!あんなもの連発されたらどんな親子でもその気になるじゃん!その気になって大金を塾に注ぎ込んじゃったじゃーん!なけなしの金、老後下流老人になったら塾のせいだ~!
ありゃりゃ、塾業界に八つ当たりですよ。塾は利用するもなのであって、振り回される方がアホなんですわ。というか、振り回されるほど、有効活用していなかったなあ。
模試の判定って占いですか?
なにアホなこと言っとんじゃい。
娘の学校のクールビューティな先生がおっしゃってましたっけ。
「全勝はないから」
やだ、どこにも、落ちてほしくない…
と思ったけど、現実はこうなのですね。我が家だけミラクルが起きるわけない。
あとは、気のもちようなのかな。
うーん、方法的には、古文漢文がもう少し…と思うけど今さらですね。娘は英語や世界史に賭けたのだから、娘の選択だから、それが間違っていても、一番不安なのは娘なので、さあ、笑顔になれるよう、私も気を持ち直します。
暗くして眠るのもいいかもしれません。