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9月6日、夜中の3時8分、後に北海道胆振東部地震と名付けられた地震がありました。
私の住む地域は震度4だったのですが、眠っていたら、突然ドンという突き上げとそれに続く、ガタガタユラユラの大きい揺れ。 このへんは、大きい地震はほとんどないので、これはかなり大きいのが来たと思いました。 すぐに電気をつけようとしたが、すでに停電になっており、夜中で真っ暗。揺れの中スマホの明かりを頼りに、隣室で眠る老母のところに行き、2階から階段を降ります。 テレビで状況確認しようにも、停電でウンともスンとも言わず、不安でツイッターを開くと、道内のフォロワーさんはみんな飛び起きて同じように呟いています。 うちには、トランジスタラジオもないので、ただただスマホの情報が頼り。 明かりもすぐにつくかと思ったけど一向につかず、仕方ないのでローソク点けて、寝られずに夜明けを待ってました。 夜明けが待ち遠しかった。 スマホの情報で、JRもバスも全面運休とわかり、仕事に行けないなぁと、今晩は外山啓介さんのピアノコンサートなんだけど、どうなるのかしらと、情弱なのでまだ呑気なツイートしてました。 職場に電話をかけても、回線が混み合っておりますと、通じず、困ってたら上司から電話が来て、安否確認と交通が死んでるから、来れないなら自宅待機して、と言われました。 上司は歩きとタクシーで来たそうです。 さて、自宅にいても、スマホの情報しかなく、電池は減ってくるし、外に出ても信号は消えているし、なんとも不安です。 母と二人で外の様子を見てたら、母が通ってるデイサービスの職員さんが、安否確認と今日はデイ休みますと連絡に車で来てくれました。 食べものは何かかにかあるので、普通にご飯作って食べてたんですが、たまたまお米がなくなってしまったので、近所のスーパーに行ってみたら、電気も消えて閉店。セブンイレブンは外まで人が並んでいて、お米もなかったので、なにも買わずに帰りました。 その帰り道に、行きは消えていた信号がついたことに気づき、「これは電気復活したかも!」と期待して帰宅すると、ありがたいことに停電が復旧し、電気がついたのです。 それから、テレビをつけ、夕刊も来て、震源地の厚真町や安平町、地面が液状化した札幌市清田区の惨状を目にして、あらためて恐ろしくショックを受けました。 信号が消えた国道を見るのは初めてだった。。 テレビがついてからは、ずっとテレビで地震の状況を見て、木曜日は終わったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月08日 22時42分36秒
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