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土曜日のブログにたくさんのコメントをありがとうございました。
他にも、個人的に友人やいとこからはメールをもらったりしまして、いろいろかんがえました。ありがとうございます。 大学時代の友人のメールには、「親子でも世代の違いとかち縮まらない距離があるのは辛いけど、結局は若い世代が上手くかわしていくしかないのかな、と実感している」と。 いとこからは、(こちらのうちの叔父さんや叔母さんはいつも私の言うことを決して否定をしない、本当に素敵な方々で私はこういう親になりたいと思っている。)「親にはいつもなんでも危ないことでも応援してもらってきた。だからこそ半端にはできない気持ちと弱さは見せられない気持ちがいつもあった。泣きたいときも親の前では笑っていたり。」というメールが。 やはりみんな自分の親やご主人の親との葛藤を抱えながら、それでもみんな進むしかないんですよね。 あとはこれからどのように付き合って行ったらいいのか。 土曜日にブログをつけてから少しずつ気持ちは整理されてきました。 でもそれから芽生えてしまったのが、母親に対する恐怖感でした。 結局母は、言いたいことをぶちまけたので、私が何を言ってもその言葉尻を捕らえたり、過去の気に入らなかった出来事や言葉を持ち出してきたので、今度何を行ってもまた否定されるのではないか?と怖くなってしまったのでした。 そんなこともありキネシオロジーin Saitama・きゅうちゃんに、必要なレメディーを調べてもらったりしました。 飲み始めて少し恐怖はなくなりましたが、まだまだ先が見えてきません。 では自分がいつから親に対して本音をいえなくなったのだろう?と考えてみると。 思い当たるのは、小学3年生のとき家を父が建てて引越ししてからあたりだなあ。自分の部屋が持てた代わりに、仲良くしていた友達と別れて、すっかり家で遊ぶような子になったのでした。 とにかくいい成績をとるために勉強しなくては、というプレッシャー以外での記憶があまりない。後は年に1度の夏休みの旅行も姉が中学生になって、やめになったのだった。ああ、あのあたりから自分に自信がなくなってきたんだな・・・。家族として楽しかった記憶が私の中ではそのあたりで途絶えている。 思い返してみると自分の中での暗黒時代は、その後、高校に入学するまで続く。そのあとは、+-両方を持ち合わせながらも大学、最初の就職・一人暮らしへと続き、自分にやっと自信が持てるようになったのは花屋に転職してしばらくたって、売り上げを自分の力(もちろん自分だけじゃないけど)で作り、花屋が自分の天職だって言えるようになってからだ。 うーん、自我を確立するようになったのが私の場合、とても遅かったわけだなあ。でも確立した自我と、それまでの人生(家族の価値観)をこれからどうやってリンクさせていくのか? もちろん、今まで育ててきてくれたことに感謝の気持ちがないわけではないです。でもその気持ちの前に今現在邪魔しているもの、を正体を確かめていかないとやはり前には進めない。 きゅうちゃんにも調べてもらったりしたが(彼女は質問の仕方がとても上手い。)私は母とどうなっていきたいのか? きっとホントはなんでも話ができるようになりたいのだ。そして認めてもらいと思っているのだと思う。信頼関係を築きたいのだ。いやだいやだといいつつも認めてほしいのだ。 どういうふうに? それはまだまだこれから、だな。 いろいろ試行錯誤するしかない。 こうやって書くことによって少し、いやかなり心が落ち着いてきます。 読んでくださった皆さん、どうもありがとう。 少しづつですが心は元気になってきています。 体は、というととってもだるくねむたいです。 夜中の授乳が辛い今日この頃、卒乳しようよ、次女。 (最近ますますがっついております。) 今日は2週ほど前に近所で咲いていた生姜?(多分。調べてません。ショウガ科なのは間違いない。)の花。 豪華でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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