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この二女から教わることってほんと多くって、いつもなごまされます。 一歳過ぎてすぐから保育園に行ってるからか打たれ強くたくましいし、自分が何を行動すべきかよくわかっていて無駄がないです。 私は育てているという実感もなく、いつのまにか大きくなってきたかんじです。 長女のときのあの、毎日行き詰る様な感覚はなんだったんでしょうか? でもこれもあの出産があってこそなのかな? 2004年1月30日が次女の出産予定日でした。 自ら望んで早く二人目の赤ちゃんがほしかったとはいえ、それまで住んでいたところがどうも感覚的になじめず、それならば、と1月に実家近くに越してきたのでした。 長女は入園していなかったこともあり、新居には引っ越さず(引越し作業は夫に任せた)、私と長女は実家にお世話になりました。しかし、実家との関係がそこでうまくいかなくなりました。私としては気兼ねしつつも自分のペースで暮らしたいのですが、当然過干渉気味の私の両親は何でも、考え方さえ同じようにと強要してくる。結局、ストレスだけがたまり、夫に救いを求めたら夫が会社を休んでくれ私の出産まで付き合ってくれることになったのでした。まず第一にしたことが生活の拠点をやはり新居に戻すこと、そして散歩にも付き合ってくれました。一緒に気分転換に海を見に行ったりもしました。 そうこうしているうちに予定日が10日あまりたっていたと思います。 もともと微弱陣痛気味だったところが、陣痛が強くなってきたので助産院に到着して内診を受けたところ7CMまで開いていた子宮口が閉じてしまったのです。 その晩は助産院に1泊させていただき、いろいろと方法を探っていきました。 先生のご尽力や夫の協力もあり、何とか実家からの昔からのトラウマから抜け出せたものの陣痛はつかないままでした。どうしてなんだろう?と考えていました。 その後、42週目に入る金曜日に総合病院での健診で「本来であれば、あなたのような人はこの病院では存在しない。土日を自己責任で過ごしてそれでも陣痛がつかなかったら月曜日に誘発分娩する」との宣告を受けました。 その前後、いろいろな方から協力をいただきました。レイキを送っていただいたり、思い当たるホメオパシーのレメディーをとったり、骨盤のゆがみをとるセンコツ君という機械に乗ったり、イトオテルミーを施してもらったり、ひまし油も飲みました。たくさんの励ましのメールもいただきました。 そしてもうひとつの出産できない原因は前回のときのお産の恐怖だったとわかりました。長女を妊娠する前に2回流産したこともあり、助産院でのお産は勇気が出せなかったので、近くの個人病院に通っていました。妊娠初期が安定しないと診断され6ヶ月まで家で絶対安静。今思うとその診断も何の根拠があったのことだったのか?って感じですが、そのときはそれを信じるしかなかったのです。寝たきり生活からあけても腰痛を抱えたまま出産に臨み、微弱陣痛のため、大量の陣痛促進剤を点滴、注射で受けました。そして子宮口が開いてきたとき、隣のベッドの妊婦さんの赤ちゃんに臍帯が絡まっているため急遽帝王切開となり、3時間ほどほっておかれる。そのあと分娩台にうつるも、あまりの腰の痛さに陣痛の合間に仰向けになれずに休憩を取り、4時間近くも苦しみつつ、出産。 その間時間がくると助産士さんは交代していなくなってしまうし、病院の院長に至っては会陰をきり、縫合するためだけに現れる始末だったのでした(休憩してるから出て来る時に呼んでねーなんていっているのも筒抜けに聞こえていた。) ああ思い起こしてかいてきたら怒りが。でも今はそう思うけど、あの時はそれが恐怖になってきていたようです。 恐怖もいろいろな方からの励ましで少しづつやわらぎ、もう「人事を尽くして天命を待つ」状態になったとき、陣痛がやってきました。入院する前日の日曜の夜から本格化して助産院に到着したのは、午前3時でした。 それでも残っている恐怖をやわらげるため、先生も電気を消してくださったりしてやっと受け入れるようになったところで、子宮口も開き、用意してくださったプールへ入ったのでした。そこからは不思議な感覚でした。陣痛が自分だけのものではないような感じで、水にも伝わっていました。そして水を通して今まで支えてくれた方々の意思のようなものが伝わってきてとっても勇気付けられたのです。プールに入ってちょうど1時間6時丁度に次女がこの世に出てきたのです。 長女も異様な雰囲気に一緒に付き合ってくれ、そのあとあまりのショックで20分ほど大泣きをしてそしてすべてを受け入れてくれました。 次女のすごさは、私が産める状態になるまで待っていてくれたということです。まあこんな怖がりで変わったお母さんだからしょうがないか、って思ってくれたのかな。あれから私自身も変わってきていろいろなものを受け入れられるようになってきたように思います。 でも所産院に来るお母さんは2人3人あたりまえ、この間の出産準備教室では4人のお母さんが3組ほどいらしたので、私なんてまだまだですが。 私の出産話に長々と付き合ってくださった皆様ありがとう。 どうもこれを書いてすっきりしないと今度のお産に臨めない気がしたのでした。 妊婦生活も9ヶ月目に入ってきました。一人目よりも二人目、二人目よりも三人目、より楽しいお産が出来たらいいなあ、と思っています。あと2ヶ月、出来ることをやっていきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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