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カテゴリ:散歩写真
私は近所の建設現場で目撃。 株式会社吉井工○○の重機にも偽装していました。 立入禁止なんだ。 でも、この程度の柵で大丈夫なんでしょうか? この写真を撮った時は、活動を休止しているようでしたが…。 ------------------------------------------------------- 『アジアパー伝』シリーズは、私の愛読書だったりします。 今日、本屋で見かけた本。 大晦日、何故かNHKで西原理恵子の家が映っていて、そこにカモちゃんがいたのであった。 やっぱり、戻ってきたんだ。でも、すごく痩せてるな、これは何か病気だなと思ったけれど、何も知らなかった。 カモちゃんが亡くなったのを知ったのは、ずっと、後で、やっぱりテレビだった。 お母さん、気丈な人だったな。「あの子は弱い人間だった」と言っていた。 写真を撮っていて思うんだけど、 写真を撮ると言う事は、受け入れる事だから、やっぱり、哀しい写真を撮ると哀しい現実を何度も受け入れなければいけないと言う事になる。 肉親の死とか、大切な人との別れとか、何時れ受け入れなければならない事は、写真を撮る事で楽になったり、違う感情に昇華させたりする助になる事もあるけれど、現実の世界は、耐え難い受け入れ難い事も多い訳で、 だから、私は日常を撮る。日常を受け入れると言うのか、何でもない日常を敢えて撮る事で、もう一度と言うか、更に深くと言うか、別な意味を与えると言うか、日常を受け入れる為に写真を撮っている。 まー、そう云う事は置いておいて… 私は、写真集とか、雑誌に掲載される写真とかを始終見ているけれど、例えば、戦場の写真とかを見ていると辛い。 最近の、イラクの写真何んかは特に辛いです。 考えるのは、例えば、自分がすごく若くて、行動力があって、写真の才能があったら、(そして勇気があったら)写真を撮りに戦場へ行くのかなーと言う事。 命をかけてでも撮るべき写真…僕は生来、臆病者だから、夢現の話ですが… 鴨志田さんの場合は、ビデオだった訳だけど、やっぱり、TVでお茶の間に向けて、流すものだから、戦闘地域で撮ったものって、結局、殆どが没なんじゃないのかな?悲惨過ぎて。 で、これは、想像だけど…その流さないと判っているビデオを撮る-ホテルの部屋に帰って観る-多分、ある程度は慣れてしまう事なのかも知れないけれど、どんどん蓄積されていく訳で… このマンガは毎日新聞に連載されているもののようだけど、カモちゃんとの最期の日々について書き下ろしを加えている。 「人間として死ぬ」と言う、言葉が重く、辛いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.30 02:01:46
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