月曜日に乾杯!
請求書を催促し急ぎのブツをもちこみ納期がずれた仕事を整理し逃げ出すように会社同僚2人と各々日比谷シャンテへ。奇しくも既婚者3人。 ドリカム状態。 っていまどきいうのやめろ。もう3人じゃないんだし。 都営三田線から遠い。ひたすら歩く。というか自然小走りに。開演時間が迫る。いまどこ?というメールがきたので噴水前のゴジラ像を撮って「歩き疲れて変わり果てた私」と称して写メールすると無事合流。コンビニで竜田揚げサンドとお茶購入。意外とチキンがうまい。 内容は「ごくふつーの溶接工がごくふつーの生活をごくふつーの家族とおくっていたところある日ただなんとなく旅に出てまたただごくふつーに家に戻る」というありきたりをくどいほどありきたりに描いたフランス映画。 「平凡な中に冒険が」とか、難しいことはいっさいなくひたすら日常を切り取る映像の数々。勤労意欲をほどよく奪って連休前の脳内エステ。ぐにゃぐにゃ。脳みそが溶ける。 なにかをもとめて出たはずの旅で出会う人々はやはり主人公と同じような生活だったりして皮肉るでなくただ淡々と描く様は小津もびっくりの体内時計。小市民たちのちまちまぶりは笑いを誘う。「あるあるある」というリアル。でも大爆笑するほどではないだろう隣の着物姿のオヤジよ。軽くダメだし。 昔挫折した小説「イワン・デニーソヴィチの一日」:刑務所の一日を秒単位で描いた作品。同じ匂い。軽い空気のはずなのに、時間が重い。もっと味付けしてくれないかなあ。それが味なのは重々承知しているのだけれど。 こういう映画をみると自分が日常をおくる上で自己演出している瞬間がたくさんあるのだなあと思う。「マルコビッチの穴」のように、この映画の視点で現在の生活をみるのはつらい。私はなにかを失っているのかしら。 JRガード下でドイツビールをくらう。アツアツのプレッツェル。レンガ造りの店内。通る電車の音。映画が続いている。(♂)