デモとシュレッター
外出したら、デモをやっていた。 政治主張を描いた旗の文字が何十年もかわらない伝統文化であるところに感心。革新って死語かしらん?新しいひとはデモなんかやらないからそういうことになるのだろうけれど。もしかしてハロウィンか。 給料くれないといたずらしちゃうぞとかな。 カーラジオから流れてきたのは女性パーソナリティにいやがらせでデビュー当時の宣伝音声を聴かせるという企画。うわずった若い声に動揺するパーソナリティが可笑しい。時間とともに喋りの安定感であるとか声質であるとか変化するものだ。聴いてみたいのは小学校卒業時に録音したテープ。Y先生おもちでしょうか。もう定年でしょうが。 あっという間にデモの記憶は消えて←効果あるのかデモ。デスクに戻り。 昭和50年代の金銭関係書類をシュレッターにかけまくる。 そのうち溶解処理するからと言われて待っていたのだがちっともする気配がない。意を決して開始。 しゅごごごーーーー 地球に厳しいぜ。 「第一勧業」やら「富士」やら。いまとなっては昔話な名前を苦笑しつつ。「トマト」とかどこいったのよ。 取引先会社の名前もみたことがないと思われるところがたくさん。 最近飛込みで名刺をいただいた会社名もちらほら。ああ、ここ昔つきあったことあるのね、とか。継続のなんと難しいことか。あたかも男女交際のごとく。スタートも難しいけど。 みたことのない会社の書類を通りがかりのベテラン営業の方にみせれば。 「もうないねえここ」ああ弱肉強食。 細分化された分業こそが日本の製品のこまやかな出来上がりに貢献しているのだから、単純に競争原理で「勝ち組」「負け組」とわけたがる傾向はわかってねえなあと思う。同様に統廃合がすべてを解決すると思っている政治家もしかり。 そんな社会派な想いよりも。 こんなにたくさん会社がつぶれてもほとんどの(!)ひとはどこかでなにかをして生きているんだなあ、という経済生活のタフさにしみじみ。 Life goes on・・・ひとごとではないんだが。(♂)