床屋へ
床屋にいく。 が、いつも行く山好きのおっさんがやっているところが休みだった。 しばし神田を放浪。 某出版社の地下に例の床屋の看板(回転するアレ)をみつけ、行ってみた。 床屋らしからぬおしゃれな外観に拒否反応。べつのにする。 儲かっているかどうかわからないが、あのおしゃれさはダメだ。あれを選ぶぐらいなら美容院にいく。 「必要な野暮ったさ」というものがあると思う。 たとえばラーメン屋がやたら洗練されていると落ち着かないだろう。 やはりラーメン屋なら汚れた床であり、古い漫画ゴラクがあってなんぼだ。 床屋もまたそういう空間だろう。 心地のよい無防備さ。 ふつうのおっさんならカフェにいって「トール」を頼むのではなく、「サテン」(死語)にいって「ホット」を頼みたいだろう。 などとブツブツいいつつ見つけた店はなかなかよかった。 こちらの邪魔にならないムダ話。スポーツに強く、経済も語る。 1,000円カットの話になり。 「あれは、手を抜いています。ここをきると難しくなるという部分は絶対いじらないようにしています。そうでないとあれだけ短時間でできませんよ。だからすぐカットが崩れますね」 なるほどいいことを聞いた。 「昔はねえ、職業を聞いてから髪を切ったものですよ。サラリーマンならサラリーマンらしく、職人なら職人らしく。ある程度パターンがあった。いまはなんでも自由でしょ?髪型だけじゃわからない。おもしろいよね。昔は自由業は髪をのばしたのに、いまは坊主になりたがるものね。そういえばチュウゴクが昔の日本と同じですよ。ある程度パターンがあったところから崩れてきている。景気だろうね」 話が中身があるけどかさばらない。なかなかの掘り出しモノだ。 さて気に入った店が増えた。次回はどうしたものか。(♂)