歌にまつわるエトセトラ
縁あって、合唱に参加した。 夏にも子供の演奏会の1ステージにでたからひさびさというわけではなかったが、たかだか1曲仕上げるだけでも大変なものである。練習しても入ってこない歌詞。必要な練習時間を作り出す工夫。 バンドをやってたり、ゴルフをやってたり、いろんな大人がいるけれどどんなジャンルであれ継続しているのは凄い。人生の一部にしている姿に頭がさがる。合唱もまたいろいろな動機がみえる。 本番までにいろんなことがおきるのがこういうジャンルの常だ。メンバーに年齢なりの家庭や仕事のトラブルがあり、それをくぐりぬけて練習を続ける姿勢。だからこそ面白いのだろう。 大人とは「なくてもいいこと」だらけなんだなあとあらためて思う。生活に追われるなかであれを省き、これを省きとやっていると気づけばなにも残らない。 ただ自分が好きかというと自信がない。必ずしも好きである必要はないのだろうが、「好きにまつわるエトセトラ」が面白くて参加していた気がする。いきつくところ「観察が楽しくて参加した」というのはまわりに失礼なんだろうか。 仕事をやりくりしたり、子供を預けたり、「たかだか歌うために」(あえていってみた)いろいろやるのはすばらしい。なんてことをいうとムスメからは「上から目線だ」とかいわれるのだろうけれど。 ほめられたいわけでもなく、スパルタ式にどやされてうまくなりたいわけでもないがヘタなままでいるのもいやだ。向上心もプライドもどれも半端なところがわれながらなさけない。 指導者のかたが練習中とてもやさしいのがまた突き刺さる。被害妄想かもしれないけれど。期待のハードルが低いのだろう。怒られて一人前ではないのか。 なにはともあれ本番はうまくいった。指導者のかたはなにもいわなかったけれど。舞台上で演奏の邪魔になるトラブル(自分がおこしたわけではない)もなんとかしのぎ(ほんとうはあってはいけないのだ)集中できた。 ただ続けるべきなのかどうかは悩むところだ。必要とされるなら答えるべきだ、と思う自分と、自分がいるからいまの体制なのでは?という疑問とのはざまでうだうだしている。うだうだ。(♂)