「C-C-Bの中で誰が好きだったの?」
「お母さんはC-C-Bの中で誰が好きだったの?」 2015年のあの出来事以来、彼らの今と昔の映像や音源を家庭内でじゃんじゃん流し始めた私に、当時小学生だったムスメがよくきいてきた。 「え、覚えてないなー。みんな好きだったし」 ・・・子どもにきかれて大人がごまかしているようにきこえるでしょ笑。しかし、当初は本当に思い出せなかったのだ。彼らがこんなことも言っていた。こんな作品もあった。音源や映像や書籍やウェブ上の情報をひとつひとつ紐解いていくたびに、発見というより「思い出す」。当時触れることのできなかった情報をみつけて新たに知ることももちろんあったが、大半は一度はみていたけれど忘れていたものだった。無限にひろがるかのように思えてその岸に茫然と立ちつくすほかないおよそ30年分の沼。進めば進むだけ底の深さにおののく沼。 「だれ推しだったか」を思い出したのは、現在の彼らの姿をみていく過程でのことだった。だんだん思い出し、迷ったり混乱したりしながら、ゆっくりと確信にかわっていった。 ニコニコ生放送で配信された「ヒデキファイナル」で彼らの姿をみたこと。 その前年にリマスターされ再発売されたアルバムやベスト盤を入手したこと。 過去映像のメモリアルDVDボックスが再販されたこと。 米川さんのライブに初めて行ってみたこと。 英樹さんの一周忌に行われた「よねまりゅ」の1回目のライブに行って、初めて笠さんと丸山さんをみたこと。 ソロになってからのベスト盤「米川英之BEST」「笠浩二RYU+」「VoThM BEST」が発売されたこと。 ・・・これらを経て、たくさんのことを思い、いろいろなことを思い出した。 現在の作品があるから、過去と引き合わせて検証することができる。過去のオリジナル音源が手に入ることで、現在の活動のすごさがわかる。だから、過去音源が「ちゃんと」流通していることはとても大切なのだと痛感した。しばらく途切れていたそれらを、2014年ごろからCDやデジタル配信で流通の再開をしてくださっていたことに感謝してやまない。 生涯で初めて笠さんをライブの場でみた1回目の「よねまりゅ」では、アンコールの一曲目に英樹さんの曲「I Love You」を、米川さんのギターで笠さんが歌った。米川さんの一音一音がクリアに際立つギターの音色とともに、笠さんの歌声がみんなの心に真っすぐ、迷いなく届いた一曲だった。そのとき「ああ、この声、すごいなあ、好きだなあ」って、純粋にそう思った。好きだということ、そこに理由はもういらない。それでいいんだな、って。笠さんの歌う声が、私をそこまで引き戻した。 世間的な「C-C-Bらしさ」を体現しているのが笠さんであり、笠さんがC-C-Bそのものだと一般的には思われていることが多いように思う。そして世間様のイメージは私たちが好きだったC-C-Bの本質とは必ずしも同一ではない。世間様にどう思われてもいいじゃん、と思えなかったから、若い時の自分は「C-C-Bが好きだった自分」を封印してしまっていたわけで。 世間様がC-C-Bに抱くイメージとC-C-Bというバンドの本質のズレを修正できる何か、世間に訴える何かがあれば良いのにとファンはずっと思っている。幻となった2015年の4人での再結成はそのきっかけになれたのかもしれないという思いもずっと引きずっている。他のバンドやグループの30周年、35周年の記念イベントや、書籍による音楽的な再評価などを目にするたびに羨ましさに身を捩るのは私だけではないはず。 「C-C-Bのファンであることに、今でも『隠れキリ○タン』的な気持ちはあるの?」と夫に言われて、「あるよ」と即答する私。「『昔、チェッ○ーズ好きだったなー』って言う人とはたぶん絶対何かが違うと思う」と断言する自分もどうかと思うが、実感としてその気持ちは変わらない。 でも今はそれで良いと思う。隠れキリ○タンだった自分が嫌だった自分から、母であり会社員である自分を世を忍ぶ仮の姿として、好きなものを好きと思って生きていく自分に、自分のあり方を変えることができたから。 これが私の、笠さんへの「いまだにファンです」的な思い。