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2015.01.12
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テーマ:ギリシャ(35)
カテゴリ:古代ギリシア
去年の年末に購入していたフランソワ・シャムー氏の『ギリシア文明』という本を遂に読み終えたので、感想を書きたいと思います。この本は全450ページを超え、かなり分厚く、価格は税込みで6000円以上というなかなか手の出しにくい代物でしたが、衝動買いしてしまいました。笑

ギリシア文明.jpg

『ギリシア文明』は、ミケーネ文明から古典期までの古代ギリシアを、歴史・戦争・宗教・思想・芸術などの様々な角度から紐解いた書物です。かなりボリュームたっぷりでしたが、最初から最後まで精読する価値のある素晴らしい大著でした。むしろ、精読しなければこの本の価値は半減してしまいます。この本の真骨頂は極めて「細かい」ということであり、細かな情報が満遍なく散りばめられ、それが私の知的好奇心を刺激してくれました。


とりわけ私が感服したのは、「祭儀と神々」という項目です。私自身、古代ギリシアの祭儀についてはいまいち把握できていなかったので、かなり勉強になりました。特にギリシア神話において重要な「穢れ」の概念が明確に記述されていたのには助かりました。

かいつまんで説明すると、古代ギリシアの「穢れ」とは、道徳的な過ちから生じるものというよりは物質的なもので、どんなに正当な理由であっても、流血を伴う事象は概ね「穢れ」であると考えられていました。それは出産であっても同様で、分娩の際の血すら「穢れ」とされていたほどです。
また、死も「穢れ」と見なされ、親族など身近な者の死は「穢れ」をもたらすとされていました。

ここで興味深いことは、流産の「穢れ」についてです。妊娠初期、すなわちまだ胎児が完全に人の形になっていない時の流産は、ただの分娩同様、血の「穢れ」のみとして扱われますが、妊娠中期以降、胎児が人の形をしていた場合は、人の死による「穢れ」ももたらされるとされていました。古代ギリシアでは、ユダヤ教同様、人の形が人間であるか否かを確定する材料であったということが分かります。(ただ、例外も存在し、その内の一つがスパルタであったと思われます。スパルタは新生児であっても、病弱であれば問答無用で捨てます。成長後も、社会不適合の烙印を押された者はすぐに捨てられました。本書には書かれていませんが、スパルタでは市民権を得ていない人は「穢れ」すら生じさせないただの「物」のように扱われていたと推測します。)

このように、非常に細かい情報まで網羅した本書は、古代ギリシア好きなら是非とも読んでおきたい逸品となっております。もちろん、「穢れ」以外にも有益な情報は大量に含まれており、細かな発見が無数にあることでしょう。


しかし、古典期以降の古代ギリシアに関してはすっぽりと抜け落ちてしまっており、フィリッポス2世がギリシアを牛耳ったところで幕が下りてしまいます。ヘレニズム時代には一切言及していないのです。
著者は「はじめに」で、この本は古代ギリシアの全てを網羅しようと試みたものではなく、著者の研究テーマによって左右されており、ある人には重大な欠落があると見受けられるかもしれない、という旨の記述がありますが、それがこの抜け落ちたヘレニズム時代のことなのでしょうか。それとも、ギリシア文明にマケドニアは入らないという著者の主張から敢えて抜け落とさせたのでしょうか。マケドニアも立派なギリシア文明なのに、「ポリスでない」という理由だけでヘレニズム時代以降を除外したのなら、かなり残念なことです。著者の研究テーマにヘレニズム時代が偶然無かったから手を付けなかった、という理由であってほしいですね。



話は逸れますが、ここで私の見解を述べておきますと、私は「マケドニア人(ここで言うマケドニアは現代のマケドニア旧ユーゴスラビア共和国ではなく、古代マケドニア王国のことです。)はギリシア人である」とする説を支持しています。これは「アレクサンドロス大王すげー!こんな凄い人は古代ギリシア人であってほしいな!」という個人的な願望から生じたものですが(笑)、客観的なデータと照らし合わせた結果でもあります。

まず第一に、マケドニア人はギリシア語を話していました。以前は「古代マケドニア語という、古代ギリシア語に近いが古代ギリシア語ではない言語を話していた」とされていましたが、最新の研究では「古代マケドニア語は、古代ギリシア語の北西方言群の一つ」であると解明されました。更に、古代マケドニア語はアイオリス方言混じりのドリス方言であることから、マケドニア人はドリス系ギリシア人(スパルタ人やアルゴス人と同じ民族)ではないか、という研究もあります。ドリス人の侵入と同一視されるヘラクレイダイの帰還伝説から派生したマケドニア王国建国神話もあり、私はマケドニア人はドリス人であったとする説を支持しています。もっとも、マケドニア人が民族的にギリシア人であったか、という問題は今も議論の真っ最中で、「マケドニア人はドリス系ギリシア人」という学説が主流だとしても(世界史の教科書に載ってるんですから、主流なんでしょう)、それに反対する研究者もいます。

第二に、マケドニア王アレクサンドロス1世がオリンピア祭に参加していたことです。オリンピア祭は正式にギリシア人であると認められない限りは参加できない祭典ですが、ヘロドトスによれば、アレクサンドロス1世は自らの血統をアルゴスにさかのぼるマケドニア建国神話(つまり、マケドニア人はヘラクレスの末裔であるということ)によって証明し、オリンピア祭のスタディオン走に参加することができたそうです。スタディオン走が若者向けの競技であることから、ペルシア戦争でペルシア側の使者として活躍したアレクサンドロス1世の年齢を考慮すれば、ペルシア戦争以前のオリンピア祭に参加したであろうことが分かります。

アレクサンドロス1世のオリンピア祭参加に関しては、捏造であるとする説があります。ペルシア戦争後、マケドニアは親ギリシア政策を取り、その一環としてオリンピア祭参加をでっち上げることによって、ギリシア人であることを主張した、ということです。その根拠はオリンピア祭の優勝者リストに彼の名前が無いことだそうです。
しかし、この主張は的外れであると批判できます。
まず、ヘロドトスはアレクサンドロス1世が優勝しただなんて一言も言っていません。ヘロドトスは「第一位の者と互角の成績を上げた」と言っているのです。これは「同着一位だった」と解釈するのが妥当でしょう。オリンピア競技では、同着一位だった場合、決勝戦として再レースが行われました。アレクサンドロス1世は再レースで敗れてしまったから、優勝者として名前を刻むことができなかったのです。
更に、オリンピア祭という全ギリシアの注目する大祭に関する捏造など不可能です。オリンピア祭にはあらゆるポリスの人々が集結していました。注目度も半端ではなく、その点では今日のオリンピックと大差ありません。そんな中ですから、オリンピア祭へのマケドニア王参加はギリシア世界の周知の事実であったでしょう。まして、ヘロドトスの「歴史」はオリンピア祭で披露されていますから、オリンピア祭の当事者たちに「アレクサンドロス1世はオリンピア祭に参加した」と言っているわけです。捏造であったなら、すぐにバレてしまいますし、ヘロドトスもそんなあからさまな捏造なら「歴史」に記したりなんかしません。
以上から、アレクサンドロス1世のオリンピア祭参加は事実で確定的でしょう。実際、ボルザ以外の殆ど全ての研究者は、事実説を支持しています。

第三に、古典期にマケドニアをバルバロイであるとする風潮が一部で再び巻き起こったのは、ペルシア戦争によって東方蔑視のオリエンタリズム的な価値観が形成されてしまったからです。ポリスを形成せず、王国(ペルシア帝国のような)であったマケドニアは、言語も宗教もギリシアと同一でしたが、このオリエンタリズム的な価値観から、バルバロイと言われることもありました。ペルシア戦争以前のアルカイック期では、言語や宗教の繋がりが重要とされていましたが、古典期ではポリスを形成しているか否かが重要になったのです。
そんな中でも、イソクラテスはフィリッポス2世を全ギリシアのリーダーとして持ち上げていますし、スパルタはアルゴスと同盟を結ぶ際、「同じアルゴスの生まれ(つまり、同じドリス系ギリシア人)」としてマケドニアを呼んでいます。アテナイのデモステネスが執拗にマケドニアをバルバロイと呼び、反マケドニアを貫いたのは、アテナイがマケドニアの脅威に晒されているにも関わらず、親マケドニアか反マケドニアかで揺らいでいたからでしょう。デモステネスはアテナイの自治に何より敏感なソフィストでした。アテナイの自立を脅かす存在は、例え同じポリスであっても敵であり、正直なところバルバロイか否かなんて関係無かったはずです。しかし、揺らぐアテナイに早く反マケドニアの方に舵を切ってほしかったから、マケドニアをバルバロイと決めつけて対マケドニア感情を煽ったのでしょう。デモステネスは、東方を蔑視するオリエンタリズム的な価値観を利用してマケドニアとの徹底抗戦を呼び掛けたに過ぎないのです。

以上の三点から、マケドニア人はギリシア人であると私は結論付けました。



・・・凄い話が逸れましたが、ヘレニズム時代が抜けているとはいえ、「ギリシア文明」は古代ギリシア好きにはオススメの大著です!高いという方は、図書館などで是非手に取ってみてはいかがでしょうか!?





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Last updated  2015.01.12 20:27:04
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